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ピタゴラス

古典期ギリシアの自然哲学者。万物の根源を数であるとし、ピタゴラスの定理などを発見した。ピタゴラス教団という宗教教団をつくった。

 正しくはピュタゴラス。ピュータゴラースとも表記する。前6世紀の哲学者だが、伝説的なところも多い。「ピタゴラスの定理」で有名であるが、純粋な数学者というより、数に神秘的な力を認め、万物の調和は数によってはかられているとして数をあがめる一種の宗教の開祖であった。また、イオニア自然哲学の一人に数えることもできる。
 紀元前571年頃、小アジアのイオニア地方にあるサモス島に生まれ、前530年頃、故郷を捨て南イタリアのクロトンに移住し、そこで「ピタゴラス教団」と呼んでもいい宗教・政治結社をつくった。クロトンでは一種の宗教イデオロギーによる政治改革を行い、教団の勢力は南イタリアで強大になったが、彼の死後、前450年に敵対する集団の襲撃を受け、指導者が殺害されて壊滅したという。

万物は数からなる

テトラクテュス
テトラクテュス
 ピタゴラスは、宇宙は数的な調和によって秩序づけられていると考え、さらに万物は数から成ると考えた。点は一で広がりをもち、線は二、面は三、立体は四であり、1+2+3+4=10となるから、10は点、線、面、立体のすべてを含む完全な数であるとした。<高野義郎『古代ギリシアの旅』-創造の源を訪ねて- 岩波新書 2002 p.52>
 この1~4の数の点を三角形に並べた図を、テトラクテュスといって、ピタゴラス教団のシンボルマークとした。
 またピタゴラスは、すべての立体の中で、もっとも規則正しいのは球であるので、われわれの世界は空間に浮かぶ一つの球体、つまり地球であると教えた。観測に基づいた知見ではなかったが、最も早い地球球体説であった。さらにピタゴラスは、太陽や月、5つの遊星(火星など)はすべて円運動をしていると考え、天体の複雑な運動はたくさんの円運動の組み合わせからなると考えた。ピタゴラスの死後、後継者の一人フィロラオスという人物は、宇宙の中心に巨大な中心火(太陽ではない)があり、太陽も地球も月も遊星もすべてその周りを回転していると想像した。つまり、ピタゴラスは地球も円運動をしているという地動説を最初に提唱した人物であるといえる。<A.アーミティジ/奥住喜重『太陽よ、汝は動かず―コペルニクスの世界』1962 岩波新書 p.28-30>
ピタゴラスの定理 ピュタゴラスは幾何学の数論的な側面の研究に最も多くの時間を割いた。また、一弦琴をもとに音程の基準を発見し、医術にも無関心ではなかった。彼は、直角三角形の斜辺の上に立つ正方形の面積は、直角を挟む他の二辺の上に立つ正方形の面積の和に等しいということを発見したとき、百頭の牡牛を犠牲に捧げたという。<ラエルティウス『ギリシア哲学者列伝』下 岩波文庫 p.23>

Episode ピタゴラス教団

 ピュタゴラス教団は秘密の教理を信じる一種の結社だった。彼らはピタゴラスの教えを「アクースマタ」という生活信条として生活したという。その中には、・ピタゴラスは極北のアポロンである。・最も賢明なものは数。などの信条から、・右足から歩み始めるべきである。・足を洗うときは左足から始めるべきである。・公衆浴場を利用すべきでない。・暗闇の中で話してはいけない。・空豆(ソラマメ)を食べてはいけない。・テーブルから落ちた食物を拾ってはいけない。などの細かなエチケットに関するものまであった。それらの意味することは、「魂の調和」という考えであった。<山川偉也『古代ギリシアの思想』1993 講談社学術文庫 p.70-89>
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書籍案内

山川偉也
『古代ギリシアの思想』
1993 講談社学術文庫

高野義郎
『古代ギリシアの旅』
2012 岩波新書

ラエルティオス/加来彰俊訳
『ギリシア哲学者列伝』下
1994 岩波文庫