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アショーカ王

前3世紀、マウリヤ朝全盛期の王。仏教を篤く信仰して保護し、仏法(ダルマ)にもとづく統治を行った。

 インドの最初の統一王朝であるマウリヤ朝第3代の王。王朝の創設者のチャンドラグプタの孫。紀元前268年に即位し、前232年頃まで在位。中国では阿育王として知られる。マウリヤ朝全盛期の王で仏教の保護者としても知られる。その支配領域をガンジス川流域・インダス川流域からデカン高原まで及ぼし、現在のインド(南端はのぞく)とパキスタン、バングラデシュのほぼ全域を支配した。アショーカ王は国内に道路を建設し、井戸を掘り、病院や薬草園を造るなど民衆の生活の安定を図った。その理念として仏教に帰依したが、同時にバラモン教とジャイナ教も保護している。アショーカ王の没後はマウリヤ朝は衰退に向かい、前180年頃滅亡し、インドは再び分裂状態となる。

アショーカ王と仏教

 アショーカ王は、デカン高原の東南部のカリンガ国を征服したとき、王自身が戦争で多くの犠牲を出したことを深く恥じて、仏教に深く帰依するようになった。
  • ダルマによる政治 前258年に、ダルマ(普遍的な仏法)にもとづく政治を行うことを宣言し、2年後にそれを詔勅として発布した。詔勅には不殺生と正しい人間関係の尊重が説かれていた。
  • 石柱碑、磨崖碑の建設 石柱に刻んだり(石柱碑)、崖に刻んだり(磨崖碑)して民衆を教化した。それらの碑文は、民衆語であるプラークリット語を、インドの文字であるブラーフミー文字で書かれていた。それらは現在もインド各地(パキスタンやアフガニスタンも含み)に現存しており、マウリヤ朝の統治範囲を示している。
  • 仏典の結集 アショーカ王の時代に3回目の仏典結集が行われ、仏教史上理想的な王とされている。
  • 仏塔の建設 アショーカ王は全土に仏塔(ストゥーパ)を建て、仏舎利(ブッダの遺骨)を分納した。伝承によると王は8万4千の仏塔を建てることを目指したという。現存する石塔には、インド中央部のサーンチーの石塔が有名である。
  • スリランカへの布教 またアショーカ王は前240年ごろ、王子をインドの南に位置する島、スリランカに派遣して仏教を布教した。またビルマに布教されたのもこの時代であり、これらは後の大乗仏教と異なる部派仏教であり、南伝仏教(後に上座部仏教と言われるようになる)としての東南アジアの仏教の繁栄の基礎となった。

Episode 暴虐の王から法の王へ

 アショーカ王は兄弟と争って即位し、そのとき99人の異母兄弟を殺したという。即位後も暴虐の限りを尽くし、人々からチャンダ・アショーカ(暴虐阿育)と呼ばれ恐れられた。その王が仏教に改宗したのは即位後8年のあるとき、名もない比丘(僧侶)の説法を聞いて改心したからで、それ以後は仏法を奉じ正しい政治を行ったので人々からダルマ・アショーカ(法阿育)と呼ばれ敬愛されたという。彼が悔いたのは、デカンの強敵カリンガ国を征服したとき、民間人を含む数十万の犠牲を出したことだった。改宗したアショーカは全土を仏塔で飾ろうと思い立ち、ブッダの没後に建てられた仏塔から仏舎利を取り出し、新たに八万四千の塔に分納したと伝えられている。<山崎元一『古代インドの文明と社会』世界の歴史3 中央公論社 1997>

アショーカは生きている

 アショーカ王が掲げた法(ダルマ)に基づく政治理念は、当時としてはあまりに高遠にすぎた。ひとことでいうならば、当時のインドの経済的・社会的文化状態に対して、マウリヤ帝国はあまりに大きすぎた。マウリヤ王朝の政治理念はあまりにも現実から離れすぎていた。そのためマウリヤ王朝はアショーカ王の没後、次第にその勢力を失い、前180年ごろ同王朝の将軍プシャミトラ王に滅ぼされ、インド全体は再び分裂状態になる。
(引用)このような挫折にもかかわらず、アショーカ王は、いまなおけっして死んでいない。彼は現代によみがえりつつある。アショーカ王政治理念は、現代の連邦であるインド共和国では、国家運営の指標としての意義を持っている。
 1950年1月26日に、デリーで共和国記念日の祭典が盛大に催された。この日、新大統領ラジェーンドラ・プラサードの就任式典にはアショーカ王石柱の四頭の獅子が飾られて、満場を見わたしていた。この獅子が、新しい大統領旗にも描かれているだけでなく、インド政府の文書をはじめ、インドを象徴するさらゆるものに用いられている・・・。また、アショーカ王の石柱には輪が刻まれていて、これは仏教の転法輪(説法)を象徴するものであったが、それはいま、インド共和国の国旗にも表されている。
 いまやインド共和国は、アショーカ王の政治理念の実現を表にかかげつつ、世界の相対立する二つの軍事的勢力からいちおう離れて、インドの伝統的な理想の具現を夢見る少年のように、苦しく若々しい歩みを開始しているのである。<中村元『古代インド』1977 講談社学術文庫版(2004) p.196>
 これは、仏教史学の大家中村元(1912-)の著作。「世界の相対立する二つの軍事的勢力」とは冷戦下の米ソのことで、インドは第三世界のリーダーとして期待されていた。現在のインドも転法輪を国旗にかかげているが、中村元のいうアショーカ王の政治理念はいま生かされているだろうか。大国となったインドの今後に注目である。 → インド(現代)
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書籍案内

山崎元一
『世界の歴史3
古代インドの文明と社会』
1998 中公文庫

中村元
『古代インド』
初版 1977
講談社学術文庫版 2004