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ラシュトラクータ朝

8~10世紀、デカン高原で栄えた王朝。この王朝の時、エローラ石窟寺院が造営された。

ラシュトラクータ朝
ラシュトラクータ朝(8~10世紀)
 インドにおいて、8世紀中頃から10世紀、西部デカン高原で栄えた王朝。
 チャールキヤ朝を倒してデカン高原の西部を支配し、さらに8世紀中頃、一時は東部の東チャールキヤ朝も服属させ、デカン高原全域を支配した。ガンジス流域のプラティーハーラ朝、ベンガル地方のパーラ朝と争い、ラージプート時代の三国対立の一角を占めた。さらに南に接するタミル人の国家であるパッラヴァ朝やそれに続くチョーラ朝とも争った。

エローラ石窟寺院の造営

 ラシュトラクータ朝の第二代のクリシュナ1世(756年即位。775年まで)は、デカン高原を抑えた後、北インドではパーラ朝を破り、南インドではパッラヴァ朝を圧迫し、強大な勢力となった。
 この時期にエローラ石窟寺院のヒンドゥー寺院であるカイラーサナータ寺院が掘削されている。カイラーサナータ寺院は巨大な岩盤をくりぬいて造りだし、ヒンドゥー教の神々を壁面全体に彫り込んでいて壮観であり、インドを代表する文化遺産となっている。
 9世紀のアモーガヴァルシャ王(在位814~880年)は文学の愛好者としても知られ、ジャイナ教の信仰に基づいた書の作者とされ、都をマーニヤケータに造営した。その他にも有能な王が続いたが、北と南での戦争が相次ぐなかで、10世紀末に家臣のチャールキヤ家のタイラ2世に滅ぼされた。

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