印刷 | 通常画面に戻る |

殷墟

中国の殷王朝の遺跡。多数の甲骨文字や青銅器が出土。

中国河南省安陽市小屯村にある殷王朝の王の地下墓坑の遺跡。甲骨文字の彫られた獣骨の出土地として知られていた地を、1928年から発掘が開始された。1937年の日中戦争の開始で中断されたが、1950年に中華人民共和国の考古研究所が発掘を再開し、殷王朝の様々な遺跡、遺物が出土した。その特色は、甲骨文字の彫られた獣骨、青銅器類が多数出土したことと、巨大な地下墓坑で殉死者のみられる王墓の発見である。この遺跡の地は紀元前13世紀の殷王第十九代の盤庚から第三十代の最後の紂王まで、後期殷王朝の都であった。殷時代には(または大邑商)と言われていた。

Episode 殷王墓の殉葬

 殷墟で発見された殷王の王墓と思われる巨大な地下墓坑は十数カ所に及ぶ。それらの王墓から、青銅器と甲骨文字とともに多数の人骨が見つかっている。その中の一つ、第一〇〇一号大墓をのぞいてみよう。墓の正室は長方形で南北18.9m、東西13.75m、東西に幅3.8mの耳室がある。深さは10.5m。四方に階段状の墓道がついている。王の棺は中央の板張りの槨室の中に収められている。底の下にも墓坑があり、そこには石製の戈(カ。武器の一種。)で武装し、一匹の犬をつれた兵士が埋められていた。中央の墓室の周りには台があり、そこにも棺に入れられた六人が埋葬されていた。これらは王を守るために殉葬されたものであろう。この王墓は古い時代に盗掘されていたので殉葬者の正確な数はわからない。さらに驚くのは、南の墓道には、59人もの首を斬り取られた遺骸が何層にも埋められていた。下層のものは20歳以下で、両手を背中でしばられ、その場で首を斬られている。切断された首はまとめて墓室の出口などに埋めてあった。首を斬られたこれらの人々は、王の霊に対して犠牲として供えられたものであったろう。そのほかこの王墓には王に仕えていたと思われる人々も埋められていた。<貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』講談社学術文庫版から要約>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第2章3節 ウ.殷と周
書籍案内

貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』講談社学術文庫