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傷寒論

後漢の張仲景が著し、魏晋南北朝時代の西晋で完成した中国の最古の医学書の一つ。

 『傷寒論(しょうかんろん)』は、後漢の200年ごろ、張仲景が著した医学書とされているが、現在の書物となったのは西晋の王叔和が編纂したことによる。張仲景は後漢の高級官僚であったが、当時高熱を伴う竜教廟(恐らく腸チフス)が流行して数百人に上る一族が死んだため、この書を作ったという。 → 魏晋南北朝の文化

参考 古代中国の医学

 『傷寒論』は直接に治療に役立つ書物としてすぐれており、後世の医学に極めて大きな影響を与えた。ことに金、元時代にはさかんに研究され、日本でも江戸時代の医者の必読書とされた。脈による病状の診断を中心として、病気を治療する処方が示されている。『傷寒論』と並んで重要な『黄帝内経(こうていだいけい)』は、すでに戦国時代にできあがり、秦漢の学者によって増補されたものと思われる。漢民族の始祖と仰がれる黄帝とその臣岐伯の問答という形をとり、人体の生理・病理を説いた素問と、鍼灸術について述べた霊枢の二経からなる。これ等の医書に共通する内容は、陰陽五行説に基づいている、と言うことである。
 中国の医学はその宇宙観を反映して、人体を小宇宙ととらえ、陰陽の気が調和を失えば病気が起こると考える。『傷寒論』も陰陽二元説にもとづいて病理説を展開しており、『黄帝内経』の素問ではさらに五行説と結びつけられ、内臓の五臓である肝・心・脾・肺・腎は五行の木・火・土・金・水に配当され、また酸・苦・甘・辛・鹹などの五味に配当される。
 中国医学は『傷寒論』と『黄帝内経』の二書にもとづいて、陰陽二元論と五行説にもとづく病理学として発展したので、内科を主とし外科を欠いていた。後漢の時代に華佗(かだ)という名医が麻沸散という麻酔薬を使ってだいたんな外科手術をしたと言う話があるが、信じがたい。伝統医学で外科が発達しなかったのはヨーロッパでも同じで、外科学は火器の使用という近代の戦争と結びついて発達したである。 <藪内清『中国の科学文明』1970 岩波新書 p.56>
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藪内清
『中国の科学文明』
1970 岩波新書