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モンゴル人至上主義(第一主義)

元のモンゴル人による漢民族その他に対する支配方針とされていたが、現在はこのような事実は否定され、歴史用語としても正しくない、とされている。

 モンゴル人が漢民族を支配した征服王朝であるで、モンゴル人は身分的にも最上位に置かれ、その他の民族では色目人(西域人)がモンゴル人に次いで重要とされ、漢人(華北の漢民族と女真族)はその下に、南人(華南の漢民族)は最も下におかれており、その原則を「モンゴル人至上主義」または「モンゴル人第一主義」という、と高校教科書などで説明されていた。または、「百官の長はモンゴル人をもって任用する」という原則があり、モンゴル人以外は、色目人・漢人・南人に分けられたが、役人など支配層となったのはモンゴル人であり、モンゴル人で不足する場合は色目人があてられることになっていた、とも言われていた。そのさい、華中から華北の、かつて金の支配する地域の住民の漢民族や女真族などは漢人といわれ、華南のもとの宋の領域の漢民族などは南人とも説明されていた。しかしこの説明は現在の教科書からは見られなくなっている。

現在では否定されている

 かつては元が征服王朝として漢民族を支配したことが強調され、モンゴル人が官僚機構の上位を独占し、色目人がそれを補佐し、漢人・南人は高級官僚になることはなく、支配される側として租税を負担するだけであったとされ、そのような体制をモンゴル人至上主義、あるいはモンゴル人第一主義と説明していた。
 それは元における科挙の停止(元)に最もよくあらわれている、と考えられていた。しかし、研究が進んだ結果、南人に対する抑圧が特に強く見られるわけではなく、またモンゴル人の中にも社会的な下層民であったケースも多く、そもそも「モンゴル人」という当時明確な概念となっていたわけではなく、その範囲は曖昧だったことが明らかになってきた。そのため、現在では「モンゴル至上主義」「モンゴル人第一主義」といった用語は教科書レベルからも削除されるようになっている。
(引用)これまでともすれば、モンゴル治下の中華地域では、モンゴル、色目(いろいろな種類の人という意味)、漢人(旧金朝治下の人々)、南人(旧南宋治下の人々)という四階級の身分制度が厳重に維持されたといわれてきた。しかし、それは誤解である。現実には、モンゴルでも奴隷となることもあったし、南人でも支配層に属した人間も数多い。客観の歴史事実としては、人種・宗教・言語・文化の枠をこえて、実力主義と実質重視の状況が生まれていたというほかはない。これに限らず、モンゴル時代の中華地域については、独特の中華主義による偏見と曲解が、不思議なことに日本においてとくにおこなわれており、注意を要する。<尾形勇・岸本美緒編『中国史』新編世界各国史3 1998 山川出版社 p.251>
参考 教科書での扱い 山川出版社『詳説世界史B』では2003年版から「モンゴル人第一主義」という用語が消えた。ただし用語集では2013年版まで残っていた。2014年以降の現行版ではさすがに消えている。ということは2013年ごろまでは他の教科書でも使われていたと言うことであろう。現在では教科書上では「死語」となっている。
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