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ハフス朝

13世紀、チュニジアに成立したイスラーム教国。

 モロッコから興ったムワッヒド朝が、チュニスに置いた総督ハフス家が、1228年、ムワッヒド朝の衰退に乗じて自立したイスラーム王朝。住民はベルベル人であるが支配者のハフス家は完全にアラブ化していた。同時代にはモロッコにはマリーン朝、アルジェリアにはザイヤーン朝があり、東のエジプトにはカイロを都とするマムルーク朝が栄えていた。

最後の十字軍を撃退

 13世紀中ごろには強大となり、1270年には第7回十字軍のチュニス攻撃を撃退し、フランス王ルイ9世もこの戦いで陣没した。これが最後の十字軍であった。また地中海の中央にあるという戦略的位置を利用し、ジェノヴァ、ピサ、ヴェネツィア、アラゴンなどと交易を行い、それらの都市はチュニスに領事をおいてハフス朝の保護を受けていた。歴史家イブン=ハルドゥーンは14世紀の後半、この王朝の下でチュニスに生まれ、イベリア半島のナスル朝やエジプトのマムルーク朝に仕え、歴史書『世界史序説』を著した。

衰退と滅亡退

 15世紀になると地中海は海賊が横行するようになり、ハフス朝は内紛もあって次第に衰退した。1516年にはバルバロッサ(赤髭)兄弟と言われる海賊(トルコ人を主体とした非正規海軍)がアルジェを占領し、34年には弟ハイル=アッディーンによってチュニスが攻撃された。ハフス朝スルタンはスペインに援軍を要請、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)は翌年チュニスを攻撃し海賊を撃退した。しかし、そのころ地中海に進出したオスマン帝国が、1538年のプレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊を破り、地中海の制海権を獲得することとなる。結局1574年にはハフス朝はスィナン=パシャ率いるオスマン帝国海軍によって征服され、滅亡する。
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