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アッコン/アッカ

東地中海岸の十字軍の拠点。最後のイェルサレム王国の都となったが、1291年に陥落し、十字軍時代が終わった。

 アッコン(アッカ)は、パレスティナの北部、東地中海に面した良港であり、現在はイスラエルに含まれている。

十字軍に占領される

 十字軍によって占領され、イェルサレム王国の一部であったが、1187年にアイユーブ朝のサラーフ=アッディーン(サラディン)がヒッティーンの戦いでイェルサレム王国軍を破った後に占領し、イスラーム側に奪回された。しかし、第3回十字軍を起こしたイギリス王リチャード1世は、キプロス島を拠点として海上からアッコンを攻撃し、1191年7月、占領した。このとき、アラブ側の守備兵2700と、約300の婦女子が殺害された。<アミン・マアルーフ/牟田口義郎・新川雅子訳『アラブの見た十字軍』1986 リブロポート p.318>
 リチャード1世はアッコン占領には成功したが、イェルサレムをサラーフ=アッディーンから奪うことはできなかった。そのためアッコンはイェルサレム王国の都として存続することとなった。その後、十字軍の拠点は、テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団らが死守するいくつかの城と、全盛期の10分の1以下の領土となってしまったイェルサレム王国のみであった。1270年に最後の第7回十字軍が派遣された、聖地回復は成らなかった。

マムルーク朝による奪還

 カイロを拠点とするイスラーム勢力のマムルーク朝1291年、アッコンに対して総攻撃を行い、まさに「海に掃き落とす」ように陥落させた。騎士団の一部はキプロス島に逃れたが、住民のほとんどは殺害された。これによって、11世紀末からはじまった十字軍運動は約200年で終わりを迎え、十字軍国家は完全に消滅した。

Episode 十字軍の最後

 マムルーク朝のバイバルスがヨハネ騎士団がたてこもる難攻不落の巨大な城クラック=デ=シュヴァリエを陥落(1271年)させてから20年、スルタンのカーリルはいよいよ十字軍国家を「海に掃き落とす」最後の仕上げにとりかかった。この時代のイスラーム側の歴史家アブール・フィダーはその壮観な光景を細大もらさす記録している。「1291年、スルタンのカーリルはそのエジプト軍と北シリア軍とを率いてアッコンに進軍した。輸送に一○○台の車を要する巨大なカタパルト”勝利号”が軍団に配備された。・・・五月初めすさまじい戦闘がおこり、・・・シリア軍は正規の右翼陣(陸側)にあり、エジプト軍は海側から攻撃した」。三騎士団の勇戦空しく、最後の拠点は六月十七日陥落した(停戦は五月十八日)。
 「イスラム軍は住民多数を殺し、莫大な戦利品を得た。一人残らず降服させた後、最後の一人を城外で斬首し、市街を完全に破壊するよう命じた」。サラディンからこの都を奪い返したリチャード獅子心王に対する報復がおこなわれたのである。「こうして全パレスチナはイスラムの手に帰し・・・かくて全シリアと海岸地方はフランク人を掃き清めた・・・神は誉むべきかな!」と、アプール・ブィダーはむすんでいる。<橋口倫介『十字軍』岩波新書 P.202>
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書籍案内

橋口倫介
『十字軍-その非神話化』
1974 岩波新書

アミン・マアルーフ
/牟田口義郎・新川雅子訳
『アラブが見た十字軍』
ちくま学芸文庫