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商業革命

16世紀、大航海時代の開始の結果起こったヨーロッパの商業の変動。経済の中心が地中海岸から大西洋岸に移るとともに、銀の大量流通による価格の変動が起こった。

 16世紀の大航海時代に、ポルトガルによるインド航路の開発にともなう直接的な香辛料貿易、スペインによるアメリカ新大陸の征服にともなう銀の大量流入などによってヨーロッパにおこった貿易・商業のありかたの大きな変化を商業革命という。その要点は、
  1. 商業圏の世界的規模で拡大し、アジア・新大陸におよんだこと。
  2. 世界経済の中心地域が、従来の地中海周辺から、大西洋沿岸に移ったこと。
  3. 従来の高利貸し的な金融業者が没落し、都市での金融システムが形成されたこと。
  4. 銀の大量流通によって物価が上昇し、地代に依存する領主階級の没落を決定的にしたこと(価格革命)。
とまとめることができる。

リスボンとアントウェルペンの繁栄

 具体的には、ヴァスコ=ダ=ガマのカリカット到達(1498年)、カブラルによる香辛料貿易の開始(1501年)によって、インドからの香辛料が直接リスボンに運ばれ、そこからアントウェルペンを経てヨーロッパで商品化されるようになったことによって、従来の東方貿易の利益を独占していた北イタリアのヴェネツィアなどの商業都市国家の繁栄は終わった。同時に北イタリアと結びついていた、内陸の南ドイツやシャンパーニュ大市などの地位も低下し、かわってヨーロッパ経済の新たな中心地はリスボンアントウェルペンなどの大西洋岸に面した港市に移動した。また、中世以来のフッガー家やメディチ家など旧来型の金融財閥は没落(または変質)した。このような変化は政治的には、ハプスブルク家の神聖ローマ帝国の支配のもとで展開された。
 しかし、ポルトガルとスペインは、この段階では経済の発展に対して国家機構が十分に対応することができず、資本を蓄積することはなかったため、17世紀にはいると両国は没落し、かわって主権国家としての体制をつくりあげたオランダとイギリスが台頭し、世界経済の中心もアムステルダムとロンドンに移り、リスボン、アントウェルペンは衰退する。
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