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チェーザレ=ボルジア

15世紀末~16世紀はじめのルネサンス時代、教皇の息子として実権を振るい、権謀術数をつくす。

 スペインのボルジア家出身のローマ教皇アレクサンデル6世の庶子。教皇となった父の保護のもと、聖職者となり、18歳で枢機卿に任じられる。フランス王ルイ12世のもとに教皇特使として派遣され、その信任を得る。聖職者から還俗し、ナヴァラ王の妹と結婚、ヴァレンティノワ公となり、ローマ教皇領の拡大に努め、傭兵部隊を駆使してロマーニャ地方を攻略、すぐれた政治的手腕を発揮した。しかし、父のアレクサンデル6世が死ぬと後ろ盾を失い、新教皇ユリウス2世と対立し、捕らえられてスペインに送られ、1506年戦死した。その権謀術数を駆使した政治的駆け引きは、同時代のマキァヴェリが、『君主論』で君主のあるべき姿として賞賛している。
 ボルジア家は、アレクサンデル6世、チェーザレ=ボルジア、ルクレツィア=ボルジアなど、ルネサンス時代のイタリアに登場し、陰謀や毒殺など悪徳の限りを尽くした一族であった。くわしくはマリオン・ジョンソン『ボルジア家』中公文庫、などを参考。>
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書籍案内

マリオン・ジョンソン
海保真夫訳
『ボルジア家
―悪徳と策謀の一族』
中公文庫