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デフォー

17世紀末から18世紀にかけて活躍したイギリスの作家。『ロビンソン=クルーソー』の作者。

 ダニエル=デフォー Daniel Defoe 1660-1731 は、著名な『ロビンソン=クルーソー』(1719年発表)の作中人物に重ねられて、どんな境遇でも生き抜く独立心旺盛な人間で、ピューリタン信仰心がそれを支えていた、イギリスの独立自営農民、つまりヨーマンの心情を持つ人と言われることが多い。しかしこのような理解は誤解のようである。デフォーは、ほんらい、フォーという名のロンドンの肉屋の息子で、上流社会の人間になりたいというので、フランスの上流社会らしく自分で「ド(デ)」を付け、自分を上流社会であると信じようとした人である。また『ロビンソン=クルーソー』も無人島で独力で農業を営むという所だけが取り上げられているが、物語の冒頭ではロビンソンはハルというイギリスの港町を飛び出て、海外で一旗揚げて上流階級のジェントルマンになろうとし、最初に手がけたのが奴隷貿易だったとなっている。デフォー自身、そしてその作中の人物も、中流や下流の人間が、上流のジェントルマンになりたいという願望を強く表明していると解釈できる。<川北稔『イギリス近代史講義』2010 講談社現代新書 p.35-36>
 デフォーは『ロビンソン=クルーソー』の作者として有名であるが、ジャーナリストとしても草分けのひとりであり、世界で最初の本格的な雑誌として、1704年に『レビュー』を刊行し、ホィッグ系の政治や経済の記事を自ら書いて定期的に刊行した。これが新聞・雑誌などのジャーナリズムの始まりとされている。

ロビンソン=クルーソー

1719年、イギリスのデフォーが書いた小説。絶海の無人島に漂着したロビンソン=クルーソーがさまざまな苦労を描いた。

 1719年、デフォーは『ロビンソン・クルーソー』を匿名で発表した。たちまち評判となり版を重ねて広く読まれた。主人公ロビンソンは乗っていた船が難破し、無人島に漂着、そこで誰にも頼らないで生きていくという苛酷な体験を28年間に渡って体験する。その生き抜く様は人間としての可能性をひきだすとともに、信仰がその支えとなったことをテーマとして、当時のイギリス社会で急速に力をもつようになった都市の中産階級と農村の独立自営農民の生き方を鼓舞するものであった。

Episode ロビンソン=クルーソーと海賊

(引用)ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソゥ』がロンドンで出版されたのは1719年4月25日である。小説としてではなく、匿名の著者の体験談として書かれた。当時は、ウィリアム・ダンビアの『新世界周航記』以来、航海記が流行しており、デフォーの本は爆発的に売れたわけではなく、当時はふつうの航海記として読まれ、ベストセラーになったのは19世紀に入ってからである。デフォーは、船乗りアレグザンダー・セルカークが‥‥太平洋上の孤島で置き去りとなり、1709年2月、海賊ウッズ・ロジャーズに救われてイギリスに帰ったことをモデルとしたと言われるが、デフォーが材料としたのはそれだけではない。また、ロビンソンの島が「絶海の孤島」であると強調されるのも誤りである。デフォーはロビンソンの島を、南アメリカ大陸北部のオリノコ河口の近くに設定している。彼が難破したした航海も、出発点はブラジルのバイーアで、目的地のアフリカにむけて北上する途中、嵐にあって西に流され、バルバドス島近くの通商路からはずれた無人島に到着する、という設定であった。この地方は当時、エスパニャの領土であった。そこに1620年頃からイギリスが進出し、イギリス人の海賊が活動していた海域であった。海賊の背後には、海賊船に出資する商人や政治家の、虎視眈々たる眼があった。18世紀はじめにおいて小アンティル諸島は、イギリス人がもっとも大きな関心を寄せる地域の一つだった。このことをふまえて、デフォーはロビンスン・クルーソゥの島を、オリノコ河口に位置させたのである。」<増田義郎『略奪の海カリブ』 岩波新書 p.8-9>
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書籍案内

デフォー/増田義郎訳
『完訳ロビンソン・クルーソー』
2010 中公文庫

増田義郎
『略奪の海カリブ』
1989 岩波新書