印刷 | 通常画面に戻る |

二重革命

18世紀後半の市民革命と産業革命が結びついて近代市民社会が出現した。

 「二重革命」とは、イギリスの歴史家ホブズボームの著作『市民革命と産業革命』(1962)で用いられた概念である。ホブズボームは1789年のフランス革命と同時代のイギリスの産業革命という二つの革命を一連の動きととらえ、「二重革命」と定義した。その後の1848年革命までの60年間の意義を次のように要約している。

ホブズボームの二重革命論

(引用)1789年-1848年の大革命は、「産業」そのものではなく資本主義産業の、勝利なのであった。自由と平等一般のではなく中産階級すなわち「ブルジョワ」の自由な社会の、勝利なのであった。「近代経済」あるいは「近代国家」の勝利ではなく、世界の特定の地域(ヨーロッパの一部と北アメリカの二、三の小区画)にある諸経済と諸国家の勝利であって、その地域の中心は、イギリスとフランスという隣接しながら敵対する国家であった。1789年-1848年の変化は、本質的には、それらの両国に生じそこから全世界にわたってひろがった一対の大変動なのである。<ホブズボーム『市民革命と産業革命』安川悦子/水田洋訳 岩波書店 序説 p.3~7>
 さらにホブズボームは二重革命をイギリスとフランスという一対の噴火口から爆発した火山帯にたとえており、その噴火は「ブルジョワ自由主義的資本主義」の勝利であり、
(引用)必然的にまた、その革命は、世界の他の部分における、ヨーロッパの拡張とヨーロッパによる征服という形態を、最初はとったのである。・・・世界史にとって、もっとも顕著な二重革命の帰結は、少数の西洋政治体制による(とくにイギリスによる)地球の支配を確立することであって、・・・西洋の商人、蒸気機関、船舶、鉄砲のまえに、―そして西洋の思想のまえに―古代以来の世界の諸文明と諸帝国とは降伏し、崩壊したのである。<ホブズボーム同上 p.3~7>
と述べ、世界史的な意義付けをしている。また二重革命はブルジョワ社会の勝利の歴史であっただけではなく、
(引用)それはまた、1848年から1世紀のうちに、拡張を縮小に転換させてしまう諸勢力の、出現の歴史でもある。そのうえ、1848年ごろには、このおどろくべき未来の運命の逆転が、すでにあるていどまで目にみえていた。<ホブズボーム同上 p.3~7>
と述べている。その諸勢力とは中国や、イスラム世界における「西洋への世界的規模での反抗」であり、またヨーロッパ内部であらわれた「共産主義」であった。
 二重革命の時代は、ホブズボームの定義によれば、「ランカシャーにおける近代世界の最初の工場制度の建設と1789年のフランス革命」とではじまり、「近代世界初めての鉄道網の建設と『共産党宣言』の出版(1848年)とでおわるのである。」<ホブズボーム『市民革命と産業革命』安川悦子/水田洋訳 岩波書店 序説p.3~7>
 → 大西洋革命