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世界の工場

産業革命後の1830年代~70年代、イギリス工業が世界をリードしたことを言う。1866年、ジェヴォンズの言葉。

 産業革命後の、19世紀30~70年代のイギリスを「世界の工場」と表現したのは、イギリスの経済学者スタンレー=ジェヴォンズだとされている。彼は「インドはわがために綿花を作り、オーストラリアはわがために羊毛を剪(き)り、ブラジルはわがために香高き珈琲(コーヒー)をつくる。……世界はわが農園、イギリスは世界の工場(workshop of the world)」と言ったという(1866年)。また、ジェヴォンズは、「アメリカとロシアの平原は我々の島であり、シカゴやオデッサの穀物、カナダや北欧の森林、オーストラリアの牧場、カリフォルニアとオーストラリアの金、ペルーの銀、中国の茶、西インドの砂糖、世界各地の綿花等々はわが国に流れ込む。」と述べたともいう。<『イギリス史』大野真弓編世界各国史旧版 山川出版社 p.231>
 この言葉が特に有名になったのは、1838年にディズレーリが議会での演説で使ったからであった。産業革命を世界に先駆けて達成し、圧倒的な工業力を誇った19世紀中期のイギリスの繁栄を述べたもの。1870年代に入ると、ドイツおよびアメリカの工業が急成長し、1890年代にはその両国の工業生産力ではイギリスを追い抜く。イギリスはその後は金融や海運でなおも世界経済に大きな地位を占め続けるが、第一次世界大戦を区切りとして世界経済の中心はアメリカに移る。
 ただし、「世界の工場」と言われた時期のイギリスの内側にも目を向けておく必要がある。産業の発展、企業の発展と高収益の背後には、労働者の苛酷な状態などの労働問題人口の都市集中による悲惨なスラム化などの社会問題が進行し、ようやく労働者の地位向上や社会福祉政策が取り上げられるようになっていた。さらに、世界に目を広げ、「世界の工場」イギリスの繁栄が、植民地に対する収奪によって成り立っていたことも見落とさないようにしよう。
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