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フランス銀行

1800年、統領政府の時期に、ナポレオンの指示で設立されたフランスの中央銀行。ナポレオン没落後も継承され、後のフランス産業発展の基礎を作った。

 フランス革命の最終段階で成立した統領政府(執政政府)において、第一統領であったナポレオンの指示のもと、1800年2月13日にフランス銀行が設立された。

フランスの中央銀行としての役割

 これは、ペレゴーらパリの大銀行家が総裁政府時代に開始していた振替銀行を拡大・改組して設立したもので、当初は銀行券発行、手形割引、預金を業務とする私立銀行であった。フランスの産業を振興させ、産業革命を実現することを目指したナポレオンは、1803年4月14日法によってパリに於ける発券独占権をフランス銀行に与え、中央銀行としての役割(紙幣の発行権をもつ銀行)を担うこととなった。フランス銀行はボナパルト一家やシェイエスが大口投資家となって運用され、フランスの産業基盤を作る上で大きな役割を担うこととなった。
大陸封鎖令へ  ナポレオンの国内産業保護政策は、フランス銀行設立の他に通貨、金融、財政改革などを伴って実効力のある産業資本育成を目指したものであったが、そこで大きな障害となったのが、イギリス工業製品がすでにフランスを含むヨーロッパ市場に溢れており、フランス製品の市場が大きく圧迫されていることであった。1804年には皇帝に即位してナポレオン1世となったが、1805年10月にはトラファルガーの海戦で敗れ、イギリス征服の夢を絶たれた。そこで1806年11月に打ち出したのが大陸封鎖令(ベルリン勅令)であり、それはイギリスの貿易に全面的に打撃を与え、フランス産業の市場を獲得するための手段となるものあった。
ナポレオンの遺産として存続 大陸封鎖を徹底することは困難であり、そのためにナポレオンはスペイン・ポルトガルへの派兵、そして自らがロシアに遠征するという軍事行動を拡大しなければならなくなり、結局それに失敗して没落した。しかし、フランス銀行は近代的な銀行制度をフランスに持ち込んだ「ナポレオンの遺産」となり、ナポレオン法典などとともにその後も存続することとなる。 → フランスの産業革命

フランス銀行設立の意義

(引用)公営銀行制度が大きく発展するようになったのも、統領政府期からのことであった。……革命期に財政・金融が混乱をきたしたため、国家自体も、そのような銀行機関を創設する力をしだいに失ってしまった。したがって、1800年1月18日にフランス銀行が創設されたことは、じつに革新的なことであった。ただし、イングランド銀行創設(1694年)に遅れること1世紀以上であったが。ともあれ、フランス銀行の設立資本金は3000万フランで、額面1000フランの株券が発行された。1803年4月14日に、紙幣の独占発行権が与えられたフランス銀行は、他の発券銀行二行を買収して事業統合を行い、同時に資本金も増額して4500万フランとした。また、フランス銀行は当初、政府の支援を受ける私的な投資事業として考案されたので、理事と監査役には、パリの銀行家および商業界の中枢にいた大立者たちの大半が名前を連ねていた。フランス銀行の上位出資者約200人は、こういう中枢を母体にする人々であった。……<ジェフリー・エリス/杉本淑彦・中山俊訳『ナポレオン帝国』2008 岩波書店 p.65>
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ジェフリー・エリス
杉本淑彦・中山俊訳
『ナポレオン帝国』
2008 岩波書店