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ロング=ドライブ

1860年代後半から、大陸横断鉄道の開通に伴ってアメリカの大平原地帯で行われた、牛の大群を遠距離移動させること。

 南北戦争が1865年に北部の勝利で終わり、1869年大陸横断鉄道が開通すると、テキサスやニュー・メキシコで放牧されいる牛を東部市場に送るために、南部から北部の鉄道の駅までの長い距離をカウボーイたちが牛を追い立てて進む長距離輸送(ロング=ドライブ)がはじまった。

大陸横断鉄道の開発

 ロング=ドライブが行われたのは、テキサスからカナダに至るグレートプレーンズ(大平原)と言われる地帯で、ミズーリの森林地帯を除いてほとんどが草原か半砂漠であった。1866年、ミズーリ=パシフィック鉄道の開通を知ったテキサスの牧畜業者が、鉄道終点のセダリアをめざし、約26万頭の牛を追って北上したのが始まりという。その後、カンザス=パシフィック鉄道のアビレーンや、ウィチタ、ドッジ=シティなどを終点とするロング=ドライブが盛んに行われた。
 ロング=ドライブの出現は突然であったが、その終わりも早かった。1880年代後半になると牛が過剰供給となり、牧羊と自営農民の進出もあって急速に衰え、その後の大平原の牧畜は今日見られるような囲い込みの牧畜となった。<旧版世界各国史『アメリカ史』1969 山川出版社 p.195>

Episode 西部劇の舞台

 ロング=ドライブは途中にはそのインディアンの襲撃や農民とのトラブル、牛の暴走などなどがあり、カウボーイたちは危険な仕事ではあるが莫大な金を手にすることができた。しかし終点の町では賭博や酒、女で使い果たしてしまい、無法者のガンマンが暴れるというお定まり「西部劇」が展開された。大平原のフロンティアには、はじめ政府もなければ法律もなかったので、取引やカウボーイの休息の場所たるドライブの終点地は、暴力の町となる傾向があった。「荒野の決闘」や「OK牧場の決闘」で有名なワイアット=アープが保安官を務めたのがドッジ=シティでは、町が出来てから一年間に25人が殺されている。<旧版世界各国史『アメリカ史』 p.195>

Episode テキサス・ロングホーン

 テキサス・ロングホーン(長角牛)はスペイン人の探検家や伝道者がもたらしたものだが、長い間に迷いだして野生化した。1830年代にアメリカ人がテキサスに進出したときには沢山の野生のロングホーンが生息しており、彼らはそれを捕獲して家畜化していった。テキサス・ロングホーンは厳しい風土に順化し、草や水を自分で見つけ出す能力を持っていたので、広大な牧場で放し飼いにされ、年に一度のラウンドアップ(春、放牧された牛を集め、生まれた仔牛に持ち主の焼き印を捺す作業)が行われた。それに熟達していった牛飼いの男たちが「カウボーイ」である。鉄道が開通すると、牧畜業者にとって、突如東部の大市場が出現した。テキサスやニュー・メキシコの牧畜業者は、牛を北部の鉄道の駅まで連れて行くというロング・ドライブを行うようになった。数千頭のロングホーンを移動させるのは大変な作業で、カウボーイたちをうまく統率する必要があった。牛の暴走というもっとも恐ろしい事故や、牛泥棒、盗賊の襲来など危険もいっぱいであったが、その利益は莫大なものがあった。<ダニエル・J・ブアステイン/新川健三郎・木原武一訳『アメリカ人』* 1973 河出書房新社などによる>
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書籍案内
ブアスティン
/新川健三郎・木原武一訳
『アメリカ人―大量消費社会の生活と文化』上下
1976年 河出書房新社
DVD案内

ハワード・ホークス監督
『赤い河』
1948 アメリカ映画
J=ウェイン、M=クリフト

テキサスからアビリーンまで牛を運ぶカウボーイの話。ウェインの貫禄ある牧場主とクリフトの若いカウボーイが対決。主役は牛かと思えるほど牛の大群を追う場面がしばしば現れ、見事。インディアンの描き方など通俗的西部劇そのままだが、アメリカ史の一面を描いている。