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セザンヌ

19~20世紀初めのフランス、印象派から出発し、次第に独自の画面構成をもつ作品を創作し、後期印象派の一人とされた画家。

 Paul Cézanne 1839~1906 19世紀後半、フランスの後期印象派に属する画家。印象派から出発し、新たな平面構成を重視した画風が現代絵画に大きな影響を与えた。南フランスのエクス・アン・プロヴァンスの生まれで父は帽子屋。画家を志しパリに出て国立美術学校の受験に何回も失敗し、サロンにも常に落選、生存中は世に知られることはなかった。ピサロを通じて印象派に加わり、新しい色彩世界を発見し、その影響を受けた。しかし彼は豊かな色彩と厳しい画面の構成的秩序を調和させることに努力するようになり、独自の画風を切り開いた。それは自然の形態を円錐と円筒と球体で構成する幾何学的な構成に集約されていく。晩年は故郷に引きこもりごく少数の友人としか交際しなかった。世を去ってから1年後にパリで開かれた回顧展は、直接にはキュビスムの運動の出発点となり、ひいては現代絵画全体の重要な原動力となった。<高階秀爾『続名画を見る眼』 岩波新書 p.43>
セザンヌ『松の木のあるサント・ヴィクトワール山』
セザンヌ『松の木のあるサント・ヴィクトワール山』1887
作品 セザンヌの作品の主題はほとんど風景と静物と肖像である。肖像画も自画像か『温室の中のセザンヌ夫人』(1880年)などの妻を描いたもがほとんど。セザンヌは30歳の時、モデルとなった18歳のオルタンスと結婚した。風景画では『松の木のあるサント・ヴィクトワール山』(1887年)など故郷の山を何度も描いている。静物画では果物や花瓶などをさまざまな角度で描いている。そのいずれにおいても、セザンヌは写実ではなく、形の本質をとらえるということをテーマとした。古典主義の遠近法でもなく、印象派の色彩とタッチだけでもなく、平面に「色彩を構成する」ことによって新しい絵画の地平を開いた。このような造形法はキュビスムに影響を与えた。

Episode ゾラとセザンヌ

 同郷の作家エミール=ゾラはセザンヌの2歳下で、子どもの頃からの仲良しだった。セザンヌはひ弱ないじめられっ子だったゾラを、自分の弟のようにかわいがり固い友情で結ばれた。ゾラがセザンヌにお礼として差し出したのがリンゴだった。セザンヌはよくリンゴをモチーフに使うようになる。人嫌いなセザンヌを励まし、パリに出ることを進めたのもゾラで、逆に有名になってからのゾラは無名のセザンヌを保護したという。ところが1886年にゾラがセザンヌをモデルに書いた小説『作品』がもとで絶交してしまう。<佐藤晃子『常識として知っておきたい世界の絵画50』 KAWADE夢新書 p.98>
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『常識として知っておきたい世界の絵画50』
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