印刷 | 通常画面に戻る |

レントゲン/X線の発見

1895年、X線を発見したドイツの物理学者。この発見は20世紀の医学、原子物理学の新たな展開をもたらした。

 ドイツのレントゲンは、陰極線の実験をするうちに、1895年1月8日、X線を発見、12月に科学誌で発表した。物理学の新たな発見であり、医学や製造業での技術革新をもたらした研究に対して、1901年、第1回のノーベル賞(物理学賞)が贈られた。

X線の発見

 レントゲン Wilhelm K. Röntgen 1845-1923 はドイツのルール地方にある小さな町、レンネップで生まれたが、まもなくオランダに行き、小学校教育はオランダで受け、大学はスイスのチューリヒですごした。物理学者となってからドイツに戻り、1888年、バイエルン州のヴュルツブルク大学の物理学研究所所長となり、その研究所でさまざまな実験を重ね、電流が荷電粒子の運動であることの証明など、実績を上げた。その過程で、1895年、偶然に透過力のある放射線を発見し、X線と名づけた。この発見は世界的な驚異として受け止められ、レントゲンの名声も世界的となって、1901年の第1回ノーベル物理学賞を受賞した。X線はその後、医学の現場で大きな技術として普及しただけでなく、その発見は放射線研究の端緒となり、フランスの科学者ベクレルによるウランから発する放射能の発見、J.J.トムソンによる電子の発見など、20世紀の物理学の革命的な変革、原子物理学への展開の契機となった。
 レントゲン自身は、X線の発見後は、その研究から離れた。多くの人がその功績を称え、彼の発見した放射線をレントゲン線とよぶことが提唱されたが、イギリスでは定着せず、彼自身の使ったX線という言葉がいまも使われている。それはレントゲンという発音がイギリス人には苦手だったかららしい(正式な発音は、レンチェンに近いらしい)。<サトクリフ/市場泰男訳『エピソード科学史Ⅱ 物理編』1971 現代教養文庫 社会思想社 p.136,137>

Episode 最初の骸骨写真

 1895年1月、レントゲンはX線の存在に気づき、その存在を証明するためX線写真を思いついた。その最初の被写体となったのは、妻の手だった。X線を当てられた妻の手の写真には見事にその骸骨が写っていた。
(引用)レントゲンはある晩、暗い実験室でクルックス管を使って実験をしていた。クルックス管は、なかで放電を起こすと管壁が燐光を発するようになっている。ふと、彼は不思議なことに気がついた。クルックス管に電流を流したとき、作業台に置いてある紙が明るく輝いていたのだ。その紙には蛍光物質の溶液が塗布してあったので、最初はたんに電気の火花が反射したのだろうと思った。しかし考えてみると、管は完全に黒い厚紙で遮蔽されているのである。ということは、未知の放射線が厚紙を透過しているのではないだろうか。
 そこでかれはすばらしいアイデアがひらめいた。この放射線は写真乾板にも作用するかもしれない。彼は妻を説きつけて、ガラス管と写真乾板のあいだに手を入れさせた。現像してみると、なんと妻の手の骨の影が写っているではないか。彼はこの新しい放射線をX線と名づけた。・・・<スレンドル・ヴァーマ『ゆかいな理科年表』2008 ちくま学芸文庫 p.192>
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

サトクリッフ/市場泰男訳
『エピソード科学史Ⅱ』
物理編 現代教養文庫
1971 社会思想社

スレンドラ・ヴィーマ
/安原和見訳
『ゆかいな理科年表』
2008 ちくま学芸文庫