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アマースト

マカートニー使節団に続き、1816年、イギリスから自由貿易要求のため、清朝に派遣された。

 1793年のマカートニー使節団に次いで、1816年、清朝に派遣された使節。嘉慶帝への謁見を申し入れたが、清朝側の要求する三跪九叩頭の礼を拒否したため、即日退京させられ、交渉に入れなかった。
 マカートニー使節団から20年以上後で、イギリスはナポレオン戦争に勝利し、海外進出をさらに積極的に展開しようとしていた。また中国との貿易ではの輸入による一方的なの流出が大きな問題となっていた。そこで中国との貿易関係の改善は国家的な命題と考えられ、アマースト使節団の派遣となった。清朝側は乾隆帝にかわり嘉慶帝の時代となってようやく衰えが見られ始めていたが、前回のマカートニーに対する応対を反省して、強い態度で臨み、三跪九叩頭の厳守を謁見の条件とした。そのためアマーストは北京まで行ったものの交渉に入れず帰国した。
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