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マジマジ反乱

1905~07年、ドイツ領東アフリカで起こった、反ドイツの黒人反乱。

 帝国主義時代に起こった、ドイツのアフリカ進出に対する、現地アフリカ人が抵抗して起こした反乱。マジマジとは霊水のことで、反乱を呼びかけた霊媒師がその水を飲めば弾に当たっても死なないと反乱を呼びかけたことによる。1886年にドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア、ルワンダ、マラウイ)を植民地として獲得したドイツは、綿花の強制栽培と年28日間の綿花畑での強制労働を導入した。それに反発して1905年7月にタンガニーカ南部で大がかりな民衆反乱が起きた。しかしドイツの近代兵器によって反乱は鎮圧された。

Episode 霊媒師の呼びかけで始まった反乱

(引用)マトゥンビ人の霊媒師キンジキティレは人々にドイツ人に対する反乱を呼びかけた。彼は「死んだ祖先が蘇って味方をしてくれる。この薬用の水(マジ)を飲めば銃弾にあたっても死ぬことはない」と告げた。反乱は同年8月、キンジキティレが絞首刑となってからも続き、タンガニーカの三分の一を覆った。しかし横の連絡を欠き、ドイツ軍の近代兵器の前に敗れ去っていった。<『新書アフリカ史・改訂新版』2018 講談社現代新書 p.442,444>
 反乱が鎮圧されたとき、アフリカ人は10万~25万という膨大な数の犠牲者を出した。これに対する白人の犠牲者はわずか5人であった。なお同じような霊媒師による呼びかけという形をとった反植民地闘争としては、1896年~1903年に南ローデシア(現在のジンバブエ)でのチムレンガの反乱がある。ここでは約8000人のアフリカ人が犠牲となった。