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マオリ人

ニュージーランドの先住民。1840年のワイタンギ条約でイギリスに併合されてから入植者に土地を奪われ、人口が激減した。

 マオリの人々はオーストロネシア語族ニュージーランドの北島と南島にイギリス人が入植する1000年も前から住みついていたといわれている。全人口330万人中、マオリは12%の40万人を占める(1986年の国勢調査)。イギリスは1840年ワイタンギ条約によってニュージーランドに対する主権が認められたとして、イギリス植民地とする一方、土地などに対するマオリの権利を保障した。しかし、その後、土地戦争が起こり入植者によって土地が取り上げられる例などが相次いだ。現在もマオリ人によるワイタンギ条約で認められた土地共有権の遵守を要求する運動が続いている。 → オーストラリア大陸の先住民、アボリジニーとは異なる語族に属する。

マオリ戦争

 1814年、ニュージーランドと呼ばれるようになったこの島に、最初に入植した白人の宣教師は、食料の調達のためにマオリ人と銃の取り引きを行った。銃を手にしたマオリ人は、部族間の争いに使用し、1821~40年にかけて起こった部族同士の抗争のため、少なくとも15万人のうちの25%が死亡した。また多くのマオリ人が丘陵部の村を放棄して、沿岸部の入植者のもとで働くようになったが、白人のもちこんだ病気にかかって死ぬものも多く、マオリの人口は激減した。
 1838年の段階でイギリス人入植者はわずか1000人に過ぎなかったが、1840年、イギリスは正式にニュージーランドを併合し、ワイタンギ条約を締結した。マオリ人はそれによって自分たちの土地―それは集団の全メンバーの共有で恒久的なものと考えていた―に対する支配が保障されたと考えたが、その期待は裏切られ、次々と土地は買い取られていった。マオリ人は抵抗し、武器を持って立ち上がり、マオリ戦争が起こった。イギリス人は私的土地所有権を強要する法律を制定し、土地の名義を次々と買い取っていった。1864年に金鉱が発見されると、マオリ人はイギリス人の土地私有欲に逆らうことができなくなってしまった。その結果、白人人口が3年間で4倍になり、219,000人に達したのに対し、マオリ人の人口は38,500人に減少してしまった。
 白人はマオリ人が数年後には絶滅すると試算し、1867年に彼らに選挙権を与えるという偽善的な行動の根拠とした。しかし、マオリ族は絶滅を免れた。その理由は世紀末の経済不況がこの植民地を直撃し、彼らの手元に残されたわずかな土地に対する圧力が減ったためと思われる。<クリス・ブレイジャ/伊藤茂訳『世界史の瞬間』2004 青土社 p.172 より要約>  
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クリス・ブレイジャ
/伊藤茂訳
『世界史の瞬間』
2004 青土社