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ビリャ

メキシコ革命での最も人気のあった農民軍の指導者。貧農出身で農民軍を率い、サパタと共にマデロに協力して1910年の蜂起に参加し、ディアス独裁政権を倒す。しかし、革命中枢から疎外され、1923年に暗殺された。

 パンチョ=ビリャ Francisco‘Pancho’Villa はメキシコ革命で民衆に最も人気の高かった英雄。ヴィリャ、ビージャなどとも表記。パンチョは愛称。メキシコ北西部のドゥランゴ州の貧農(ペオン)の生まれで、アメリカとの国境地帯で多くの手下をもつ家畜泥棒として知られていた。しかし正義感が強く貧しい人々には優しいビリャは、1910年のマデロの決起に始まるメキシコ革命にかかわることで一挙にヒーローになった。

メキシコ革命に参加

 マデロに賛同したビリャはメキシコ北部のチワワ州で兵を挙げ、ディアス独裁政権を倒し、マデロが暗殺された後はもう一人の農民指導者サパタとともに右派のウェルタ将軍と戦い、一時はその捕虜となって銃殺寸前まで行ったが脱走に成功し、その後北部チワワ地方で華々しい勝利を収めて勝利し、革命を守った。こうして革命権力の中枢となったが、ビリャは大統領の地位に固執せず、一野戦部隊の指揮官に甘んじる。しかし、農民層に対する絶大な人気は、革命政権の中では官僚派のカランサや軍を抑えるオブレゴンたちにとって危険な存在であり、次第に相容れなくなって孤立していった。1915年にはオブレゴン軍と衝突して敗れ、それ以後は一地方勢力として中央政府から排除されてしまう。1920年には引退を表明したが、最後はオブレゴン政権下の1923年にかつての敵によって車に40発の銃弾を撃ち込まれ殺害された。

Episode 戦うパンチョ・ビリャ

 貧農(ペオン)出身で山賊あがりのこの天才的軍事指導者の、飾り気のない、奔放な行動と夢は、アメリカのジャーナリスト、ジョン=リードによって伝えられた。以下は彼の著作『反乱するメキシコ』からの抜粋である。
(引用)ビリャは22年間お尋ね者(アウトロー)だった。まだ16歳の少年の頃、チワワの街で牛乳配達をしていた時、政府の役人を殺し、山中に逃亡せねばならなくなったのである。役人が妹を犯したという話であるが、しかしおそらくその男の横柄な態度に我慢ならず殺したものらしい。それだけのことなら、こんなに長い間お尋ね者になることはなかった。メキシコでは人命はそう高くはないのだから。しかし逃亡した彼は、金持ちの大農園(アシエンダ)主から家畜を盗むという許すべからざる大罪を犯したのである。その時からマデーロの革命が勃発するまで、メキシコ政府は彼の首に賞金をかけていた。<p.108>
 ビリャは無知なペオン(貧農)の息子だった。学校に行ったこともなかった。文明社会の複雑さを全然知らなかった。生まれつきの驚くべき明敏さをもった一人前の男として文明社会に復帰したとき、彼は野蛮人のような純真無垢な素朴さで、20世紀の世界と相対することになったのである。<p.108>
 (チワワ州で外国領事に対してビリャは言った)わしらメキシコ人は、300年間スペイン人に支配されてきたんだ。スペイン人の性格は、征服者(コンキスタドーレス)の時代以来変わっていない。奴らはインディオ帝国を崩壊させ、人民を奴隷にした。われわれは奴らに混血してくれるよう頼んだわけでもない。われわれは奴らを二度メキシコから追い出し、その後、メキシコ人と平等の権利を与えて入国を認めたが、奴らはこの権利を利用してわれわれの土地を盗み、人民を奴隷にし、自由に反対して武力に訴えた。スペイン人はポルフィリオ=ディアスを支持して、有害な政治活動を行った。ウェルタを大統領官邸に送る陰謀をつくりあげたのもスペイン人だ。マデーロが殺された時、共和国内のすべての州のスペイン人は祝賀会を開いた。奴らは、この世で最大の迷信――カトリック教会――をわれわれに押しつけた。これだけでも奴らは殺されて当然だ。われわれはスペイン人に対して非常に寛大だと思っているんだ。<p.116>
 パンチョ・ビリャの夢「メキシコ大統領になれるほどの教育を受けていない」・・・ビリャは自分の夢を次のように語ってくれたことがある。“新しい共和国が樹立されたときには、もうメキシコには軍隊はなくなるだろう。軍隊は独裁の最大の支柱だ。軍隊がなけりゃ、独裁者もありえんね。”<p.128>
 <以上 ジョン=リード/野田隆・野村達朗・草間秀三郎訳『反乱するメキシコ』1982 新潮選書>
 これら以外にもパンチョ・ビリャの並はずれた勇気と、茶目っ気、人なつこさ、そしてその反面の敵に対する残忍さが伝えられている。著者のジョン=リードはアメリカの新聞社から派遣されたジャーナリスト。メキシコの後ロシアに行き、ロシア革命(第2次)を克明に記録して、有名な『世界をゆるがした10日間』を書いた。またアメリカにおける社会主義運動でも活躍し、アメリカ共産党の創設に加わり、コミンテルンの委員になった人である。1920年にモスクワで客死するまでの生涯は映画『レッズ』で描かれている。
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書籍案内

ジョン=リード
野田隆・野村達朗・草間秀三郎訳
『反乱するメキシコ』
1982 新潮選書

国本伊代
『ビリャとサパタ』
世界史リブレット人
2014 山川出版社