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臨時大総統

辛亥革命によって1912年正月に成立した中華民国(臨時政府)の長。孫文が就任したが、3月に袁世凱に交代した。袁世凱は独裁権力を強め、1913年正式な大総統となった。

 辛亥革命の勃発の知らせをロンドンで聞いた孫文は、1911年末に帰国し、革命勢力から押されて、翌12年正月、中華民国の建国を宣言し、臨時大総統に就任した。しかしまだ北京には清朝政府が存在し、その実権を握る袁世凱は革命軍を攻撃しながら、孫文の南京政府と交渉を続け、権力の奪取を狙っていた。孫文は、袁世凱との交渉によって、清朝の皇帝を廃し、共和政による統一を実現しようとした。袁世凱は1912年2月に宣統帝を退位させ、臨時大総統の地位を孫文から譲られることとなり、1912年3月10日に臨時大総統になった。

臨時約法での臨時大総統

 中華民国臨時政府では、将来の憲法にむけての臨時基本法として臨時約法を制定、袁世凱の臨時大総統就任の翌日、1912年3月11日に公布した。臨時約法は国民主権、議会制度、三権分立などを定めた近代的な憲法であり、そこでは臨時大総統は次のように規定されていた。
  • 臨時大総統は参議院(国民の選挙で選ばれる立法府)が選挙する。総員の4分の3以上の出席で、投票総数の3分の2以上の得票者を当選とする(第29条)。
  • 参議院は臨時大総統を弾劾することが出来る。総員の5分の4以上の出席で、出席者の4分の3以上で可決される(第19条)。
  • 臨時大総統は、政務の総覧し、法律の公布・執行、軍隊の統帥などを任務とする(第30~33条)。
  • 国務院(政府)・大使の任命、宣戦・講和・条約の締結は参議院の同意が必要(第34,35条)。

袁世凱、大総統就任

 袁世凱は、1913年9月1日に、第二革命を鎮圧して国民党と国民党系将軍を抑え込み、孫文らは日本に亡命した。その上で袁世凱は10月には議会で正式に大総統に就任した。さらに10月、正式な大総統に就任した。
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