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カザフ/カザフスタン

キプチャク草原の遊牧民族でイスラーム化した。1936年、ソ連邦を構成する一国となり、現在はカザフスタン共和国。

 カザフ人は広大なキプチャク草原地帯(ステップ)で遊牧生活を送っていたトルコ系(チュルク)の民族。トルコ語系のカザフ語を話す。13世紀のモンゴルの進出以来、モンゴル帝国の支配を受けるようになり、モンゴル人に同化していった。このモンゴル人を支配者とした国家はキプチャク=ハン国と言われるようになった。
 イスラーム教のスンナ派を受け入れているが、伝統的な民俗信仰の要素も強い。ウズベク人とも関係が深いがいつ分離したかはよくわからない。キプチャク=ハン国衰退後は、いくつかの部族に分かれて遊牧生活を続け、大中小の3つのオルダ(部族連合体)を造った。バルハシ湖東岸のイリ河流域が大オルダ、キプチャク草原の大部分が中オルダ、ヴォルガ河畔までを小オルダという。ロシアは18世紀からカザフの三オルダのハーンたちと外交関係を結び、19世紀になるとハーン権力の弱体化に乗じてロシア統治に踏み切り、ステップ総督を置いてロシア人、コサックの入植を進め、カザフ人の土地を奪っていった。

カザフ人の起源

 カザフ人の起源は必ずしも明らかではないが、15世紀中ごろ、中央アジアでティムール帝国が衰退した時期に、代わって登場した新たなトルコ系民族、ウズベク、カザフ、キルギスなどの一つであり、次のように説明されている。キプチャク=ハン国のモンゴル人が次第に遊牧トルコ化し、イスラーム教スンナ派を信奉するウズベク人と言われて現在のカザフスタンの草原地帯にいたが、アブル=ハイル=ハンの死後、二つに分裂して、ハンに反発した集団は天山山脈西部で分離し、ウズベク・カザク(カザクとは冒険者の意味)と言われるようになった。これが現在のカザフ人の直接の先祖である。このカザフ人集団は、16世紀の初頭のカースィム=ハーンの時代には30万とも100万とも言われる多数の遊牧民を支配下に置く強力な遊牧国家に成長し、バルハシ湖周辺周辺に勢力を伸ばした。<間野英二『中央アジアの歴史』1977 講談社現代新書 p.187>

カザフ・ソヴィエト社会主義共和国

 ソ連邦を構成した社会主義国の一つ。人種はトルコ系のカザフ人。ロシア革命の内戦の中でカザフ人にもソヴィエト政権によって1920年に自治共和国が成立した(この時はロシア側の誤解でキルギスと言われていた)。1924年のソ連中央政府の決定によって中央アジアは5つの国家に分離され、カザフ自治共和国となり、領土も修正された。1936年に(自治国から昇格して)カザフ=ソヴィエト社会主義共和国となり、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)を構成する1国となった。ソ連時代には、カザフの草原地帯のセミパラチンスクが核実験場とされ、周辺の農村や遊牧民に被爆被害が出た。1991年には分離独立してカザフスタン共和国となり、中央アジア5共和国の一つとなっている。 
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