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国民革命

1924年の国共合作によって始まった、中国国民党による軍閥政権を打倒し、中国を統一する運動。

 1924年に孫文の指導する中国国民党中国共産党との間で第1次国共合作によって成立した、両者の協力で北京の軍閥政権を倒し、中国の統一を目指す段階となってから、広い意味の中国革命は「国民革命」と言われるようになる。1911年の辛亥革命によって清朝の専制支配が終わったにもかかわらず、中国社会は依然として封建的な地主-小作人関係が残存し、不平等条約のもとで外国資本の支配を受け続けていた。しかも政治的には「中華民国」の実態は北京(当時は北平といわれた)の支配権をめぐって軍閥の安徽派、直隷派、奉天派などが入り乱れて抗争し、国民不在の状態が続き、帝国主義勢力の侵出を許していた。
孫文三民主義は清朝の専制支配に代わる中国の新たな国家の指針として有効であったが、軍閥の台頭、帝国主義の侵略の前には無力であった。第一次世界大戦後中に始まった反軍閥・反帝国主義は五・四運動となって高揚し、また新たな勢力として中国共産党が出現した。そのような動向を受けて孫文は大胆に方針を転換、国共合作に踏み切り、真の「国民のための政府」を作り出す戦いに転換した。この段階が「国民革命」であり、「国共合作を基盤とした反帝国主義・反軍閥の民族民主革命」<横山宏章・前掲書p.126>と定義することができる。この国民革命は、北伐という動きで実践された。 
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