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エジプト=イギリス同盟条約

エジプトを保護国として支配していたイギリスが、1936年、スエズ運河地帯駐留権の継続を条件に、エジプトの主権を認めた条約。エジプト独立への一歩となった。

 1936年8月26日、イギリスが、スエズ運河地帯への軍隊駐留権を残すことを条件にエジプト王国の主権を認めた条約。

イギリス軍のエジプト駐留

 エジプトは1882年9月13日にイギリス軍の事実上の保護国とされ、エジプトの保護国化したことによってイギリス軍の駐留が続いていた。
 第二次世界大戦後の1922年にエジプト王国の独立が認められたが、イギリスは軍事権はスーダンの統治権とともに留保していた。つまりエジプト王国の独立は形式的なものにすぎなかった。そのような中で、ワフド党内閣は1936年にこのエジプト=イギリス同盟条約を締結し、イギリス軍の駐留をスエズ運河地帯だけに限定するとともに、実質的な独立を獲得した。イギリスはエジプトに譲歩したが、スエズ運河の権利を守るために、運河地帯の軍隊駐留権だけは譲らなかったと言える。

同盟条約の破棄

 この同盟を根拠にイギリスは第二次世界大戦中を通じてエジプトの運河地帯に軍隊を駐留させ、中東方面での軍事拠点とした。しかし、エジプト国内ではワフド党内閣の譲歩に対する不満が強まり、大戦後の民族運動が活発になったため、1951年にエジプト側からこの条約は破棄された。

イギリス軍の撤退

 エジプトの悲願であるイギリス軍との撤退交渉は、1952年7月のナセルの指導するエジプト革命によって一挙に進み、1954年10月19日に合意が成立、20ヶ月後の56年6月に最終撤退することが決められた。
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