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ABCDライン

日本の東南アジアへの進出に対して、アメリカが石油などの日本輸出を禁止したことを、日本側はイギリス・中国・オランダの四国による包囲網であるとし、その打破を太平洋戦争の戦争目的として掲げた。

日本が経済包囲網をこう呼んだ

 東南アジアに進出した日本に対して形成された、アメリカ合衆国(America のA)、イギリス(Britain のB)、中国(China のC)、オランダ(Dutch のD)による日本包囲網を日本側でこう表現した。 → 日本と第二次世界大戦
 アメリカ合衆国は、日本の大陸進出による中国での利権の侵害を恐れ、1939年7月に日米通商航海条約の破棄を通告、40年1月に失効したため、日米間の貿易はストップした。ドイツ軍がオランダ・フランスを一挙に占領した1940年5月頃から、日本軍のなかに南進論が強まった。40年9月の北部仏印進駐を実行し、アメリカ・イギリスとの関係悪化が急速に悪化、同月には日独伊三国同盟が締結されて、アメリカを仮想敵国とする路線が明確となった。
 それに対してアメリカは日本に対する鉄屑輸出をストップするなど、経済的な封鎖を強めてきた。日米対決を避けたい政府は、アメリカとの外交交渉も続けたが、軍はさらに41年7月に南部仏印進駐を決行し、アメリカは態度を硬化させた。その結果、同年8月1日、アメリカ合衆国は日本に対する石油輸出の全面禁止を通告した。この7月以降に日本で「ABCDライン」という言葉が使われるようになり、日本軍はこの包囲網を打破することを叫けぶようになった。インドシナはフランス領であったが、当時フランスはドイツに占領されてしまったため日本の敵とはされず、マレー半島、ビルマを植民地支配するイギリス、インドネシアを領有しているオランダが日本が排除すべき敵であるとされた。実際にはオランダはインドネシアにオランダ領東インドが存在したが、本国をドイツに占領されており、4国が組織的に対日包囲網を形成していたわけではない。
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