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シハヌーク

カンボジアの王族で、1945年に独立宣言。インドシナ戦争後の1953年実質独立を勝ち取る。1970年、クーデタで国を追われてから亡命生活を送り、カンボジア内戦後に帰国し1993年に国王に復帰した。

シハヌーク

シハヌーク 1956

 ノロドム=シハヌーク Norodom Sihanouk は現代のカンボジアの最重要人物。シアヌークとも表記。カンボジア王家の血を引き、フランスの保護国時代の1941年に19歳で国王となった。当初フランスは年少のシハヌークを御しやすいと考えたようだが、その後ねばり強いカンボジア独立運動の中心人物として現在までしたたかにカンボジアの歴史に関わってきた。

カンボジア独立宣言

 まず日本軍の侵攻に際して1945年3月に独立宣言、フランス植民地支配が復活してからはインドシナ戦争に乗じて1953年11月9日にカンボジア国王として独立を宣言、フランスが苦戦に陥る中、国際世論にも訴えて1953年のジュネーヴ会議で独立を勝ち取り、1954年7月21日に締結されたジュネーヴ休戦協定でカンボジアの独立を国際的に承認させることに成功した。

シハヌーク殿下の活動

 「カンボジア王国」の国王の地位を1955年に退き(王位は父に譲ったので「シハヌーク殿下」と言われるようになる)、政治家として国家元首となり自ら仏教社会主義共同体(サンクム)という独自の政党を組織した。この時期、さかんに外交活動を行い、「赤いプリンス」と言われ中国、ソ連、北ベトナムなどと連携を強めた。1965年に始まったベトナム戦争が長期化、泥沼化すると南ベトナム解放戦線(ベトコン)を支援し、カンボジアを経由しての北ベトナム軍の南ベトナムに人員、物資を送ることを認めた。

流浪のプリンスから囚われのプリンスへ

 そのような反米姿勢を快く思わなかったアメリカは1970年3月、右派のロン=ノル将軍を動かし、クーデタを行って王政を廃止、カンボジアは共和国となった。シハヌークはおりから北京滞在中で、それ以後カンボジアに戻れなくなり、「流浪のプリンス」となった。ロン=ノル政権に対してシハヌーク支持派は抵抗を開始、共産勢力である赤色クメールとも共闘してカンプチア民族統一戦線を結成して、カンボジア内戦の戦いを北京から指導した。
 1975年、ロン=ノル政権が倒れるとカンボジアに戻り、「民主カンプチア」の国家元首となったが、こんどは親中国の左派ポル=ポト政権によって監禁状態にされた。それからは「囚われのプリンス」といったところである。

国王への復帰

 1979年、ベトナム軍がカンボジアに侵攻、ポル=ポト政権を倒してヘン=サムリン政権ができると、反ベトナムの「民主カンプチア」国家元首として国連などで代表権を主張した。1970年以来22年間に及んだカンボジア内戦は91年にようやく終結し、パリ国際会議でカンボジア和平協定が実現し、1993年9月にカンボジア王国が復活、シハヌークが国王に復帰した。
 2004年10月シハモニ国王に王位を譲り引退したとされるが、21世紀まで隠然たる影響力を持ち、2012年10月15日、心臓発作のために死去し、13年2月に国葬が営まれた。カンボジアでは現国王とシハヌーク夫妻の肖像画があちこちに飾られている。

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