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中央条約機構/CENTO

反共軍事同盟であったバグダード条約機構(METO)からイラクが脱退したため、1959年に改称した。1979年、イラン革命でイランが脱退し、解消された。

 バグダード条約機構(METO)の加盟国であったイラクで、1958年7月イラク革命が起こったために脱退した。それを受けて1959年より、中央条約機構(CENTO)に改称し、本部はトルコのアンカラに移された。アメリカはオブザーバー参加だが、実質的にはアメリカの指導する反ソ軍事同盟で、北大西洋条約機構(NATO)東南アジア条約機構(SEATO)と連携する東西冷戦の中の西側軍事同盟の一環だった。

イラン革命を機に解散

 1979年にイラン革命が起こり、成立した革命政権は反米に転じ中央条約機構から脱退、またパキスタン、トルコも脱退したので中央条約機構は解消した。70年代は米ソ間のデタントが進み、また米中関係の改善が進んだこともCENTO解散の背景である。
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