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ハヴェル

チェコスロヴァキア民主化運動の指導者。1989年に大統領に選出されたが、チェコとスロヴァキアへの分離に反対して93年に辞職した。

 ハヴェルは劇作家と出発し、チェコスロヴァキアの民主化運動にくわわるようになり、その指導者の一人となっていった。1968年の「プラハの春」を支持して以来、たびたびの弾圧にくじけずに民主化運動を続けていた。1977年には「憲章77」を発表し、世界に広くチェコスロヴァキア共産党政権のもとでの人権抑圧を訴えた。
 1985年のゴルバチョフの登場から活発となった東欧諸国の民主化運動の中で、ハヴェルは再び立ち上がり、1989年1月に反政府集会を組織、煽動罪で逮捕されて有罪となった。これがチェコスロヴァキアの民主化を実現させたビロード革命のきっかけとなり、10~11月にかけて急激な民衆運動が盛り上がりを見せ、共産党政権の交代まで実現させた。釈放されたハヴェルは「民主フォーラム」を組織し、12月の大統領選挙で圧倒的な支持で大統領に選出された。
 民主化後は民族主義、反共産主義が強まるなかで、ハヴェルは共産党の排除と過度な民族主義に反対し、チェコとスロヴァキアの連邦制を維持しようとしたが、1993年議会はチェコとスロヴァキアの分離を議決したので、大統領を辞任した。分離後のチェコの大統領を1993年から2003年まで務めた。
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