印刷 | 通常画面に戻る |

映画

19世紀末に発明され、20世紀に盛行した大衆娯楽。

 映画の歴史は19世紀の末、アメリカのエディソンの「動く写真」を「のぞき絵」で見る「キネトスコープ」(1895年)と、フランスのリュミエール兄弟の「動く写真」を映写機を通してスクリーンに映す「シネマトグラフ」の発明という二つの源流がある。はじめは「岸にうちよせる波」や「工場から出てくる労働者」というような実写がほとんどで、もちろん無声で白黒だった。しかし無声であったことが演劇などと違い、かえって言葉の壁を越えて映像として世界市場に広がる要因だった。初めはカフェなどの余興で上映されていたが、1908年にパリで専門の上映館が造られ、配給会社による制作と興業が企業化され、大衆の娯楽として急激に普及した。
 一方で映画を芸術として創造しようとする作家が、俳優を使って大規模な作品を造るようになった。第一次世界大戦は映画製作の中心をヨーロッパからアメリカに移した。アメリカではハリウッドがその中心地となった。1929年、アメリカのワーナーがトーキーを実用化することに成功、トーキーは映画をさらに大衆化し、また制作会社を大企業に成長させていった。さらに国際的な言語の英語で造られるアメリカ、イギリス映画が隆盛することとなり、ヨーロッパ大陸諸国の映画、たとえばスウェーデン映画などは衰退した。
 1935年頃から色彩映画が登場、ますます制作に大資本を要するようになった。第二次世界大戦の前には、ナチス=ドイツ、ファシズム下のイタリア、ソ連などが国策としてプロパガンダ映画を多数作った。戦前と戦後の60年代までは映画の全盛期となり、画面の大型化などが進んで大がかりな劇映画が作られ人々の娯楽の中心となっていった。その一方で、映画を純粋な芸術として高めようという作品も現れた。1960年代にはフランスのヌーベルバーグと言われる革新的な技法での新しい作品が生まれた。しかし、1960年代を通してテレビやヴィデオの出現によって映画館は激減し、映画製作本数も減少していった。20世紀の後半は映画産業は大きな転機を迎えた。 現在はSFXなどの技術を取り入れた映画制作が主流となり、さまざまなメディアを通しての映像制作は依然として娯楽(エンターテインメント)の中心となっている。<飯島正『世界の映画』1951 などによる>