印刷 | 通常画面に戻る |

テル=エル=アマルナ(アマルナ)

前14世紀、エジプト新王国のアメンホテプ4世の時にナイル川中流に造営され、一時都とされた都市アマルナ。

アメンホテプ4世の新都

 古代エジプトの歴史上の都市。エジプト新王国アメンヘテプ4世(アメンホテプ4世)が、テーベのアメン神神官の勢力を排除するために築いた新都。テーベとメンフィスのほぼ中間のナイル川東岸にあった。アケト・アテン(「アテンの地平線」の意味)というのが正式の名称。従来のアメン神を祀る神官団の勢力を排除し、新たに王が創出した唯一神アトン神を祀る神殿を建設するために選んだ。
 紀元前1364年の冬、アメンホテプ4世は王妃ネフェルティティ、長女メリトアテン以下、廷臣たちを従え、アケト・アテンと命名された新都建設予定地を訪問、建築工事起工の儀式を行った。都にはアトン神の神殿とともに、王宮、王墓、中央官庁街が二年ほどで建設された。
 アマルナに遷都し、アメンヘテプ4世(アメンホテプ4世)はイクナートン(アクエンアテン)と改名、これ以後王は何ものにも束縛されず、専制君主として「アマルナ革命」を推進し、斬新なアマルナ美術がこの王宮で栄えた。
 しかし、その死後、アメンホテプ4世の改革が否定されると、この都は王一代で終わり、次の王朝によって破壊され、現在は遺跡が残るのみとなっている。1887年にはこの遺跡から、偶然にアマルナ文書といわれる大量の楔形文字を刻んだ粘土板が出土し、アメンホテプ時代のオリエント諸国の外交記録であることが判明した。
印 刷
印刷画面へ