ニネヴェ/ニネヴェの王立図書館
ティグリス川上流にあったアッシリア帝国の都。王立図書館が建設された。その遺跡から大量の楔形文字を記した粘土版が見つかっている。
アッシリア帝国の都
ニネヴェ(現在のモースル) GoogleMap
現在はイラク北部の主要な都市モースル。チグリス川東岸(左岸)に遺跡があり、アッシリア帝国の首都だった時代の城壁などが復元されている。
センナケリブ王による建設
ニネヴェはセンナケリブ王(前704~前681)の時代に、大帝国の首都にふさわしい洗練された都市となった。城壁は長さが南北に12kmもあり、15の城門や階段状の矢狭間つき胸壁も備えられた。南北で二分され、北部に行政、市街地区、南部には軍の野営施設があった。市街地区では広場や道路が整備された。チグリス川に通じる運河もめぐらされ、庭園や果樹園には産地から水道で水が運ばれた。ニネヴェにひかれた水道を通すためには谷に水道橋が建設されたが、これはローマの水道橋よりも古い、世界最古の水道橋である。センナケリブ王の孫アッシュール=バニパル王は、ニネヴェの北地区のクユンジュクに宮殿を建設した。宮殿の壁面には壮大な浮彫が施され、その一つには土木技術の進歩にによって可能になった、高い導水橋から給水される王宮の庭が描かれており、庭園、植物園、動物園を備えた町の風景をよくあらわしている。<小林登志子『アッシリア全史』2025 中公新書 p.238-240>
ニネヴェの王立図書館
アッシリア帝国のアッシュール=バニパル王が、首都ニネヴェに建設したもので、世界最古の図書館とされている。メソポタミアとエジプトを統合し、広く西アジアを支配したアッシリアは、帝国内の産業や経済を掌握するために、王立図書館と言っているが、図書館というより情報センターと言うことであろう。もちろんそれらの情報は、粘土板に楔形文字で書かれているものであった。1894年に発掘された遺跡がその図書館跡とされており、2万5千枚(あるいは4万枚とも言う)の楔形文字が刻印された粘土板が見つかった。それらはすぐに大英博物館に送られ、アッシュール学の学者たちによって解読作業が行われた。そこから「アッシリア学」といわれる分野が発展している。Epidode アッシュール=バニパル王の粘土板収集
ニネヴェで発見された粘土板は約3万枚といわれ、最大級の蔵書数をほこり内容も多岐にわたる。学問的な文書としては占卜(占い)、宗教、語彙、医学、魔術、儀式、そして『ギルガメッシュ叙事詩』や『エヌマ・エリシュ(天地創造神話)』などの叙事詩や神話、歴史書を含んでいる。そのなかで占卜はアッシュール=バニパル王が最も関心を寄せた分野であった。粘土板には奥付(コロフォン)と呼ばれる文章がついているが、それには王が占卜の情報を集めいた意図が次のように書かれている。「私(アッシュール=バニパル)はナブ神の知恵を粘土板に書いた。…………私はそれらを照合し、交合した。私はそれらを我が主人ナブ神の神殿の図書館に将来のために置いた。…………ニネヴェで、私の生命のために、我が魂のために、私はおそらく病気をしないであろう。そして我が王位の基礎を確固たるものとするためにである」
アッシュール=バニパルは、文字の読み書きができたから自分の知性の発露として文書を集めただけではなく、呪術書を欲しがったのには理由があった。特にメソポタミア南部のバビロニアの粘土板を集め、書記たちに書き写させている。ギルガメッシュ叙事詩を2600年も後の現代の我々が読むことが出来るのはそのためなのだ。またメソポタミアでは「文字そのものに過去の英智が宿っている」からこそ、武力で切り取った帝国を守るためにも、王たちはいわば護符のような役割を期待して粘土板文書を集めることに執着したという、説もある。<小林登志子『前掲書』p.270-272>