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スサ

エラム王国の都として建設され、アケメネス朝ペルシア帝国では行政上の首都であり、王の道の起点となる。

 スーサとも表記。イラン高原西南部にある遺跡。古代イラン文明の中心地の一つであり、前12世紀にエラム人が王国の都として建設した。エラム人の王国は前7世紀に滅ぼされたが、スサはアケメネス朝ペルシア帝国の政治上の都として繁栄をつづけた。しかし、ペルシア帝国の滅亡とともに衰え、現在では遺蹟として遺されている。

ペルシア帝国の都の一つ

 アケメネス朝ペルシア帝国のクセルクセス王はここに王宮を建設したが、それ以前からここにはイラン文化の中心地であったらしく、1897年以来のフランスによる発掘で、彩文土器、楔形文字の粘土板などが出土している。ペルシア帝国ではペルセポリスとスサがいずれも首都とされるが、ペルセポリスは王の居住する王都、スサは諸官庁の所在地としての実際の行政の中心地、ということであったらしい。また小アジアのサルデスに至る「王の道」の基点でもあった。
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