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王の目、王の耳

古代イランのアケメネス朝で、地方官(サトラップ)を監視するため、中央から派遣された監督官を「王の目」、その補佐官を「王の耳」といった。

 イラン高原を中心として、小アジアからインダス川までを支配したアケメネス朝ペルシア帝国では、ダレイオス1世が、各州に地方官であるサトラップ(州知事、属州の総督)を置いて統治させた。サトラップが離反しないように、それを補佐する軍司令官は王が直接任命した。そしてサトラップを監視し、勤務状況を把握するために王直属の監督官を派遣した。その監督官を「王の目」といい、その補佐官を「王の耳」と称した。また、中央と地方を結びつけ、行政や軍事行動を迅速に行うために王の道と呼ばれる道路網をつくり、駅伝制を整備した。これによってアケメネス朝は、広大な世界帝国の中の諸民族を統治した。

サトラップと王の目、王の耳

 サトラップ制や、王の目・王の耳などについての情報は、ヘロドトスの『歴史』など、ギリシア語文献による情報である。古代ギリシア語の資料では、サトラップに当たるものは「クシャサパーバン」である。クシャサパーヴァンは、大王によって任免される州長官であり、貢納や税の徴収、軍役奉仕、道路網の整備、隣接する諸国との外交など、広範囲の業務を担う、世襲ではない地方官であった。クシャサパーヴァンを監視するために派遣された監察官は「王の目」「王の耳」に対応する古代ペルシア語の原語は不明である。<青木健『ペルシア帝国』2020 講談社現代新書 p.59>
(引用)この「王の目」や「王の耳」という官職名はヘロドトスの記述にあるもので、ペルシア語でどのように呼ばれていたかは実はわかっていない。「王の目」とはおそらく監視官のようなものであったろう。あおれにあたるペルシア語として、さまざまな職名が想定されてはいるが、史料上断定しうるほど明確な職名は見いだされていない。しかし「王の耳」については、おそらくスパイのようなものだろうが、ガウシャカつまり「聴く人」という意味の言葉が、パピルス文書にある。<山本由美子『オリエント世界の発展』世界の歴史 4 1997 中公文庫版 2009 p.134>