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ヴェントリス

イギリス人建築家で、1953年にミケーネ文明期の線文字Bを解読し、ギリシア語を表記した文字であることを発見した。

 1953年、古代ギリシアの線文字Bの解読に成功したイギリス人。マイケル=ヴェントリス Michael Ventris 1922~1956 は建築家であったが、言語学者チャドウィックの協力で、解読に成功した。線文字Bはクノッソス遺跡の他にもギリシア本土のピュロスでも大量に見つかり、その解読によって、エーゲ文明の後半にあたるミケーネ文明に使用されていた文字であることが判り、その社会のあり方が知られるようになってきた。線文字Bはやがてミケーネ文明が崩壊し、暗黒時代といわれた混乱期の過程でギリシア人の中で忘れられて行き、アルファベットを基にしたギリシア文字にとってかわられることとなる。
 ヴェントリスとチャドウィックによる線文字Bの解読は、それまでホメロスの伝える口承詩『イリアス』・『オデュッセイア』(これらはギリシア文字で書かれた)によってしか知られていなかったポリス社会以前のギリシア社会の実態をあきらかにするという研究史上の大きな発展をもたらしたが、彼自身は1856年に交通事故によりわずか34歳で死去した。

線文字Bの解読

 ヴェントリスはエヴァンズのようなパブリックスクールから名門大学を出て考古学者になるというコースを取らず、幼児はスイスの学校で学び、ロンドンの建築関係の学校に進み建築家となった。母は彼を大英博物館によく連れて行っていたところ、7歳の時にエジプトの象形文字に関心を抱くようになった。1936年、14歳のヴェントリスは、クレタ文明の発見者エヴァンズの講演を聴き、クレタの線文字がまだ解読されていないことを知り、強い興味を持ったという。建築家となった彼は、第二次世界大戦後、仕事の傍ら線文字の解読に取り組むようになった。
 当時はエーゲ考古学の大家であったエヴァンズが、クレタやミケーネの文明は非ギリシア人の文明であり、彼らの文字もギリシア語とは関係がないと主張し、それが通説となっていた。しかし、ヴェントリスは研究をすすめるうちに線文字Bで書かれているのは古いギリシア語ではないかと気がついた。1952年、若い言語学者チャドウィック(彼は日本語にも通じ、仮名文字を研究していた)の協力を得て研究を進めたところ、ギリシア語として解読できることをついに証明し、1953年に学会で発表し、大きな反響を呼んだ。ヴェントリスはその研究を完成することなく、1956年わずか34歳で交通事故で死んだ。現在では線文字Bの解読は大いに進み、エーゲ文明期の社会と文化についてシュリーマンやエヴァンズの見解は書き改められている。<高津春繁・関根正雄『古代文字の解読』1964 p.243 岩波書店による>

Episode 天才の邂逅

ヴェントリス
15歳のヴェントリス
ロビンソン『文字の起源と歴史』p.138
 ヴェントリスが線文字Bに興味をもったのは少年時代だった。14歳のヴェントリス少年が、85歳のエヴァンズから線文字Bを見せられたのがきっかけだった。
(引用)1936年、古典の教師パトリック・ハンターに連れられて、ヴェントリスたち生徒は、エヴァンズ主催のミノア文明展見学にいった。当時85歳のエヴァンズも会場にいて、少年たちに線文字Bが記された粘土版を見せた。そのときハンターは、ヴェントリスがエヴァンズにとても礼儀正しくこう質問したのを聞いている。「これはまだ解読されていないっておっしゃってましたよね?」<ロビンソン/片山陽子訳『文字の起源と歴史』2006 創元社 p.138>
 こうして歳老いた天才の課題は、若き天才に引き継がれることとなった。加藤一二三九段と藤井聡太四段の邂逅を彷彿とさせるお話ですね。<2017.6.30 加藤九段引退の日に記す>

線文字Bの暗号解読

 シャンポリオンのエジプト神聖文字(ヒエログリフ)の解読を成功させたのは資料としてロゼッタ=ストーンを用いたことによって可能であったが、線文字Bにはそのような(解読できる文字と併記された)資料はなかった。しかも、そもそもどの言語を記すための文字なのかが判っていなかった。そのため、線文字Bは「暗号解読」と同じような困難がともなった。それでもヴェントリス以前に、線文字Bには文字と文字の間に短い縦の線があり、それは語と語の区切りと考えられ、ところどころに具体的なもの(壺など)を模った表意文字が使われていることが判っていた。またアメリカの女性言語学者アリス=コーバーは線文字Bは音節文字であり、語尾変化が認められるという研究発表を行っていた。
 ヴェントリスの解読作業は、暗号の解読と同じで、個々の文字が語頭、語中、語末にどのくらいの頻度で出てくるかをしらべ、それによって文字の音価を決める手がかりを探していく。ある一つの文字の音価を仮に定め、多の文字に当てはめながら試行錯誤を続ける。こうして音価が与えられた文字をヴェントリスはちょうど日本の五十音図のような格子状の表に配列していく。そうするうちにヴェントリスはあることに気づいた。線文字Bに仮に与えた音価を当てはめていくと、そこにクノッソスをはじめとするクレタ島の地名が読み取れたのだ。さらに多くの資料に当てはめていくと「鍛冶屋」とか「神官」などにあたるギリシア語が姿を現し、語尾の変化もギリシア語のそれと一致していた。
 ヴェントリスは1952年6月に線文字Bはギリシア語を書き記したものに違いないという仮説をたてた。それを聞いた言語学の専門家チャドウィックは、ヴェントリスの格子表を借りて4日間にわたり資料にあたったところ、20を超えるギリシア語を見出した。これは偶然ではあり得ない。解読は成功したのである。チャドウィックはすぐにヴェントリスに協力を申し出、二人の研究は1953年秋『ギリシア研究誌』に発表されることになった。
 ヴェントリスとチャドウィックの研究が正しかったことが、別の発掘で証明された。アメリカの考古学者ブレーゲンが、第二次世界大戦で中断していたピュロスの発掘を再開し、同年5月、330枚以上の粘土版が発見され、その線文字Bには幾つかの壺の表意文字とその壺の名にあたるギリシア語が見出された。これによってヴェントリス説に懐疑的であった学者達も、線文字Bがギリシア語を表記していることを認めざるを得なくなった。ヴェントリスの解読した線文字Bは、学会の共同財産として受け容れられ、古代ギリシア史の研究を新たな段階へと導くことになった。<ロビンソン/片山陽子訳『文字の起源と歴史』2006 創元社/伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史』2004 講談社学術文庫 などによる>
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書籍案内

伊藤貞夫
『古代ギリシアの歴史』
2004 講談社学術文庫

J・チャドウィック
/細井敦子訳
『線文字B―古代地中海の諸文字 (大英博物館双書―失われた文字を読む)』
1996 学芸書林

A・ロビンソン
/片山陽子訳
『線文字Bを解読した男』2005 創元社