印刷 | 通常画面に戻る |

デモクリトス

古典期ギリシアの自然哲学者。前5世紀末、物質観を究極的な原子論にまで高め、後の物理学にも影響を与えた。

 前5世紀末から前4世紀初めの自然哲学者。トラキア(ギリシア北方)のアブデラの出身。生年は前470年頃で、ソクラテスとは同時代であるが、交流はなかった。デモクリトスは、レウキッポスと言う人から原子論を学んだと言うがはっきりしたことはわからない。著作は多くの断片が残されているが、まとまった著作は残っていない。

原子(アトム)論

 彼は物質の根源には、目に見えない、それ以上分割することのできない、原子(アトム)が存在する、と考えた。その考えは、原子論的唯物論とも言うべきもので、後のゼノンなどのストア派にも影響を与えた。
 デモクリトスはまた、「空虚」もある、と論じた。デモクリトスのいうこれ以上分割されない究極の実在である「原子」は、不生不滅であるだけでなく、等質である。しかし、無限の数の大小様々な充実体であり、無限の空虚中を飛び交っている。それを彼は、「あらぬもの、あるものにすこしも劣らずある」と表現した。<廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』1997 講談社学術文庫 p.140>

デモクリトスの人間観

 原子論者、自然哲学者として知られるデモクリトスであるが、その断片には、人間の魂やその生き方、倫理や社会について言及している部分も多い。デモクリトスは人間の魂の働きもまた原子と同じものと考えていたようだ。そして、魂が安定することが、快いこと、つまり幸福であることとになる。さらに魂は魂原子の群魂であり、その形態、配列、向きは変化する。そのように考えれば、人間の資質は生まれつき変わらないと考えられていたそれまでの人間観に対して、教育によって資質も変わっていくと言える。魂をもつ「小宇宙」が人間であり、人間が社会的動物であるならば、その安定=幸福は社会のあり方によって変わってくる。そこに原子論者であるデモクリトスが、国家社会のあり方にも言及する意味がある。・・・
 デモクリトスの断片38
  不正行為を阻止することは立派である。だがもし阻止できないなら、(すくなくとも)不正行為に加わってはならない。<廣川洋一『同上書』 p.320>
※蛇足 廣川氏によるデモクリトスの説明を上記のように理解しましたが、充分な読解ではないかもしれません。突拍子もない思いつきですが、現代の原子物理学者は、デモクリトスの原子論が単なる、自然論・物質論ではなく、人間や社会にまで同質の考察を及ぼしていたことを忘れていたのではないでしょうか。デモクリトスに原発や核兵器まで責任を負わせるのはばかげていますが、せめて現代の原子物理学者にはデモクリトスに学んでほしいものです。

Episode デモクリトスの観察眼

(引用)ヒッポクラテスが彼のところへ訪ねてきたときに、彼はミルクを持ってくるように頼んでおいた。そして、持ってきたミルクを彼は眺めた上で、これは初子を産んだ黒色の雌山羊のものだろうと言った。それで、彼の観察の正確さに、ヒッポクラテスは驚嘆したのだった。いや、そればかりでなく、ヒッポクラテスには若い娘が同伴していたのだが、最初の日には、彼はその娘に、「今日は、娘さん」と挨拶したが、次の日には、「今日は、奥さん」と挨拶したのだった。実際、その娘は夜の間に処女を失ってしまっていたのである。<ラエルティオス/加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』下 1994 岩波文庫 p.130>

Episode 盲目となったデモクリトス

 鋭い観察眼を持っていたデモクリトスだったが、その生涯の終わりには盲目になったという。
(引用)生涯の終わり近くなって盲目となったデモクリトスは、「魂の目」で見るものは肉の目で見るものより真実の姿に近く、より美しいと言っている。彼はついに断食してみずから命を絶つことにした。ところが、祭の最中に息を引き取ることになりそうだとわかると、妹が祭を楽しめなくなるからというので、焼きたてのパンのにおいを嗅いで命を延ばしたと伝えられている。<スレンドラ・ヴィーマ/安原和見訳『ゆかいな理科年表』2008 ちくま学芸文庫 p.25>