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ディオゲネス

前4世紀、ギリシアの哲学者。アレクサンドロス大王との逸話で知られる。犬儒派の一人で、ヘレニズム時代のコスモポリタニズムの先駆ともされる。

 前4世紀のギリシアの犬儒派(キュニコス派)の代表的な哲学者。ソクラテスの流れをくむアンティステネスに学び、プラトンアカデメイア学派を批判して、自由で自足的な生活を求め、敢えて犬のような生活を理想としたので、犬儒派と言われた。彼のポリス社会の理念を否定する思想は、後のコスモポリタニズムの先駆となった。ディオゲネスは、あなたはどこの国の人かと尋ねられると、「世界市民(コスモポリテース)だ」と答えたという。ポリスという国家社会に依存しない生き方を理想とする、ヘレニズム時代のコスモポリタニズムの先駆者と言える。

Episode ディオゲネスのシンプルライフ

 ディオゲネスには逸話に事欠かない。彼は地位を求めず、家を捨てて樽にすみ、不用のものの全てを虚飾として身につけず「犬のような生活」をした。彼の「シンプル・ライフ」を追求する言動は、貴族的なプラトンへの当てつけであった。ディオゲネスが昼間、ランプを灯して町中を歩き回り「わしは人間をさがしているのじゃ」と言ったという。
 最も有名な話は、アレクサンドロス大王が樽のディオゲネスの前に立って「何か所望のものはないか」と尋ねたとき、「そこを一歩動いてわしの陽なたからどいてほしい」と答えたという話。彼は子どもが手のひらで水をすくうのを見てコップを捨て、パンのくぼみにスープを入れるのにならって椀を手放したという。虚飾を捨て、「自足」することを理想とした彼の生き方を見たアレクサンドロスは、もし自分が大王でなければ、ディオゲネスであることを望んだであろうと語った。

Episode アレクサンドロス大王とディオゲネス

 アレクサンドロス大王がディオゲネスを訪ねて「何なりと望みのものを申して見よ」と言ったのに対し、ディオゲネスが「どうか、わたしを日影におかないでいただきたい」と言ったという話は、プルタルコスの『英雄伝』(対比列伝)のアレクサンドロス伝とラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』に出ている有名な逸話である。また、ラエルティオスに依れば、アレクサンドロス大王が彼の前に立って、「お前は、余が恐ろしくないのか」と言ったとき、それに対して彼は、「いったい、あなたは何者なのですか。善い者なのですか、それとも、悪い者なのですか」と訊ねた。そこで大王が、「むろん、善い者だ」と答えると、「それでは、誰が善い者を恐れるでしょうか」と言った。<ディオゲネス・ラエルティオス/加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』中 岩波文庫  p.166>
 なお、イタリア=ルネサンスの巨匠ラファエロの『アテネの学堂』にもディオゲネスが、アテネの学堂の前の階段の日だまりで横たわっているように描かれている。

Episode 哲学者にして奴隷

 ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』によると、ディオゲネスの父は、ある国で質の悪い通貨を鋳造し、贋金造りの罪で国外追放になった。別の説ではディオゲネス自身が贋金造りだったともいう。また、彼はアイギナ島へ航海中にスキルパロスという海賊に捕らえられ、クレタ島に連れて行かれて売りに出され奴隷になった。奴隷として売りに出されたとき、触れ役の者がお前にはどんな仕事ができるかと訊ねると、堂々とした態度で「人びとを支配することだ」と答えた。そして立派な衣装を身につけたコリント人のクセニアデスを指さして、「この人におれを売ってくれ。彼は主人を必要としている」とも言った。クセニアデスは彼を買い取り、コリントに連れ帰り、自分の子どもたちの監督に当たらせ、また家のこといっさいを彼に委ねた。ディオゲネスが家事全般をうまく取りしきったので、クセニアデスは「よい福の神が舞い込んだぞ」と喜んだという。<ディオゲネス・ラエルティオス『同上書』 p.171>
 ディオゲネスはこの他にも面白く、またすごいことを言っているが、ここでは引用できないので、『ギリシア哲学者列伝』(中)をご覧いただくしかない。


犬儒学派/キュニコス派

前4世紀、ギリシアのポリス時代末期にあらわれた哲学者の一派。ソクラテスの流れを汲み、ポリス社会の制度や文化を人為的なものとして否定し、動物の生き方を理想としたので犬儒派と言われた。ヘレニズム時代にも存続し、ストア派の哲学にも影響を与えた。

 ソクラテスの弟子のアンティステネスを祖とし、その弟子のディオゲネスがよく知られていた。ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』では、アンティステネスがアテナイの城門から少し離れたところにあるキュノサルゲス(「白い犬」の意)の体育場で人びとに語りかけるのをつねとしていたので、キュニコス(犬儒)学派といわれるようになった、としている。ディオゲネス・ラエルティオス/加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』中 岩波文庫 p.119
 アンティステネスの学説は、幸福となるのには徳だけで足るのであって、ソクラテス的な強さ以外には何一つその上に必要ないとし、賢者は市民生活を送るにあたって、既定の法律や習慣に従うのではなく、徳の法に従うべきであると説いた。その思想は、ディオゲネスの「動じない心」(アパティア)、クラテスの「自制心」、そしてゼノンの「不撓不屈の精神」といった考え方に道を開き、彼らは犬儒派(キュニコス派)といわれ、ストア派にも影響を与えた。

Episode 犬と呼ばれた哲学者

 その中で最も知られているのがディオゲネスであり、彼と犬儒派については、次のように説明されている。
(引用)アリストテレスがアテナイのリュケイオンの学校で、その学頭として、「原政治学」を講じていた頃、一人の男がアテナイへやってきた。その男は、アリストテレスが「部族もなく、法もなく、竈(かま)もなき者」というホメロスの言葉を引用しつつ、そのような人間はポリス的動物としての人間とはいえない「劣悪な人間」であると断じた、まさにそのような人間であった。すなわちその男は「ポリスもなく、家もなく、祖国をも奪われ、乞食のように放浪しつつ」アテナイへともぐりこんできたのである。
 汚れたマントを二重に着こみ、首からは頭陀袋をぶらさげ、そこが神聖な神殿であろうがアゴラであろうが、いっさいかまうことなく、メシを喰ったり眠ったりするのに平気で使ったこの男は、ソクラテスの弟子であるアンティステネスのところに押しかけていって無理やりに弟子入りし、アテナイに、のちにはコリントに定住するにいたる。ひとは誰も、むさい礼儀知らずのこの男を、「犬!」(キュオーン!)と呼ぶのであった。宴会でどんちゃんさわぎをやっている連中の中には、犬に向かってするように、この男に骨を投げつける者もあった。するとこの男は、いきなり、犬がするのと同じ格好でその男に小便をひりかけるのであった。犬は、ギリシア人たちによって豚とともに最も軽蔑された動物であったが、この男は「犬!」と呼ばれ、みずから犬であることを認め、犬の生活に甘んじて適応した。・・・すなわち彼は「獣生活」に自足モデルをみつけたのである。
 「狂ったソクラテス」という逆転した美名で以て呼ばれたこの男は、生涯を通じて、浮浪者であり奴隷であった。そして、彼が年老いて死んだときも、一介の奴隷として死んだのである。彼がまさに死に臨んだとき、彼の主人が尋ねた。「埋葬はどうしてほしいか」。この男は答えた。「うつぶせに」。
 男の名はディオゲネス。アレクサンドロス大王が訪ねてきて、「わしがアレクサンドロス大王である」と名乗ったとき、「犬であるディオゲネスだ」と名乗り返した、あの哲学者ディオゲネスである。死ぬとき、「うつぶせに」埋葬してくれと要求したディオゲネスに対し、主人がその理由を聞き返したとき、この男は、「まもなく上下が逆転することになるだろうから」と答えたという。山川偉也『古代ギリシアの思想』講談社学術文庫 p.363
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山川偉也
『古代ギリシアの思想』
1993 講談社学術文庫

ディオゲネス・ラエルティオス
/加来彰俊訳
『ギリシア哲学者列伝』中
岩波文庫