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カタコンベ

ローマ帝国時代にイタリア各地に造られた、キリスト教徒の地下墓所。礼拝所などとしても用いられた。

 カタコンベ Catacombe は、ローマ帝国期のキリスト教の信者が墓所として造った地下墓所。カタコンブ、カタコームとも表記。ローマのものが最大で、幅約0.8m、高さ約2m、総延長560キロにも及ぶ。他に、ナポリ、シラクサ、マルタ、アレクサンドリアなどでも遺跡が見つかっている。キリスト教が非合法とされ迫害されていたローマ帝政時代には、信者はここで祈りを捧げるなどして信仰を守ったとされている。その壁面には彼らの信仰を示す壁画が残されており、美術的価値も高い。
カタコンベ 円明園7
ローマのカタコンベ
Wikimedia Commons

カタコンベは秘密の集会場所か?

 カタコンベは、ローマの南、約5キロのアッピア街道沿いの聖セバスティアーノ教会にある、4世紀以来「窪地のそば」を意味するギリシア語の「カティンクンバス」と呼ばれた墓地が語源である。地下の墓地は地中海世界では広く造られていたが、15,6世紀に「キリスト教徒の墓所」として再発見されて以来、ローマ初期のキリスト教会の地下墓地をさすようになった。
 キリスト教徒は3世紀初頭から専用の墓地をもち、300年ほど機能した。現在、60ほどが発見されているが、一般公開されているのは聖カリスト、聖ドミティッラなど数カ所にすぎない。地下数メートルに第1層を水平に掘り、通路の両側に数段の壁龕(へきがん)をうがって遺体を土葬した。それが3,4層と掘り下げられ、深いものだと地下25m、総延長20km以上に及ぶ。部分的に壁画などの装飾が施された墓室や小礼拝堂もあるが、大半は通路の壁龕を煉瓦や大理石でふさいだ粗末な「ロクロス」が占める。それでも初期キリスト教美術・碑文などの宝庫であることにはちがいない。
 カタコンベは、殉教者の埋葬は確かだが、迫害時のキリスト教徒の秘密の集会場所だったというのは、まったくの俗説にすぎない。<地中海学会編『地中海事典』1996 三省堂 豊田浩志執筆>
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地中海学会
『地中海事典』
1996 三省堂