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上座部仏教

古い仏教各派(部派仏教)のひとつで、伝統的な出家を中心とする宗派。いわゆる小乗仏教を上座部仏教というようになった。

 ガウタマ=シッダールタ(仏陀)の没後、仏教の原始教団は、その教えを継承する過程で、多くの部派に分裂し、部派仏教がうまれた。その中で、最も厳格に戒律を守り、伝統を継承しようとした保守派を上座部という。上座とは教団内の指導的な長老を意味する。それに対して、一般僧侶に多かった革新派は大衆(だいしゅ)部といわれた。

上座部仏教の伝播

 上座部仏教はマウリヤ朝のアショーカ王によって保護され、その王子マヒンダによってスリランカに伝えられて発展し、そこから東南アジア各地に伝えられ、現在もタイやビルマで行われている。スリランカから東南アジアに広がった上座部仏教は南伝仏教と言われ、またその仏典はパーリ語で書かれているので、パーリ仏教とも言われている。 → ビルマの仏教

大乗仏教以外の仏教の総称

 しかし権力者の保護を受けた部派仏教の各教派の僧侶たちは、他派との論争に明け暮れ、しだいに民衆の信仰から離れた貴族的な学問仏教になっていった。それに対する批判として、紀元前後に大乗仏教の運動が始まった。これは、従来の僧侶が自己の悟りをえることを信仰の第一義としていたのに対して、広く民衆を救済する仏教であるべきであるという仏教の革新運動であって、彼らは自らの仏教を「大きな乗り物」の意味で大乗仏教といい、旧来の部派仏教を小乗仏教と蔑称で呼んだ。大乗仏教は、仏像を造ることや、ナーガールジュナ(竜樹)の理論などと共に中国・朝鮮・日本に広がり、仏教の主流となった。その後、大乗仏教以外の仏教を小乗仏教という言い方が永く続いたが、現在はそれを蔑称であるとして、その代わりに、長老たちの伝えた部派仏教の中の代表的な部派の名に代表させて、上座部仏教と言っている。
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