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慈恩寺/大雁塔

唐の都、長安に648年に建造された仏教寺院。インドから帰った玄奘が大雁塔をつくり、仏典を収め、漢訳に努めた。

 の仏教寺院で、大慈恩寺ともいう。648年、太宗の時、皇太子(後の高宗)が、生母の冥福を祈って都の長安(現在の西安)に創建した。後に玄奘がインドから帰国し、この寺に迎えられ、そのもたらした仏典、仏像類を収めるために境内に大雁塔を建造した。後に寺院は荒廃して、現在は大雁塔のみが残っているが、シルクロードの終着点の文化遺産として世界遺産に登録されている。塔はレンガと木で汲み上げられ、現在の高さは64.517メートル。西安の観光名所ともなっている。

慈恩寺と大雁塔

 1907年(明治40年)9月22日、西安を旅した京都大学教授、東洋史学者の桑原隲蔵が、その著『考史遊記』に残した大雁塔と慈恩寺の紹介。
(引用)大雁塔は西安府城の南十里の慈恩寺内に在り。慈恩寺は唐の太宗の貞観二十二年(648年)、高宗なお東宮に在りし時、その母文徳皇后の冥福を祈らんがために建立せしもの。故に慈恩を以て名となす。爾後長安の名刹となる。寺庭に光緒十三年(1887年)所建の「重修慈恩寺記」碑あり。いう、「逆回乱を構え、殿宇灰燼するに、一塔のみ巋然(きぜん)として猶存す」と。これに拠れば、今の殿宇は光緒年間の新築に係ることを知るべし。大雁塔は寺の後辺に在り。高宗の永徽三年(652年)、有名なる慈恩寺三蔵法師玄奘の創意経営せし所という。形は四角にして高さ七層。巍然(ぎぜん)として天空に聳ゆ。・・・唐の中宗の神竜(年間)以来、進士登科(合格)の者、皆宴を寺前の曲江に賜う。宴罷(や)んで皆名を塔上に題し、遂に故事となる。・・・今の塔は康煕以後の改築もしくは修築に係り、もとより唐代の旧にあらざるなり。ただし塔下の左右両龕(がん)の唐の褚遂良所書の「三蔵聖教序」二碑、依然として完好珍重すべし。・・・登臨して四望すれば、・・・遠くは渭水を隔てて、咸陽・涇陽(けいよう)・三原の諸県を淡靄揺拽(もやがかかった様子)の間に見るべし。<桑原隲蔵『考史遊記』明治40年 岩波文庫 2001年刊 p.71-73>

大雁塔 玄奘自らもっこを担ぐ

 慈恩寺の大雁塔については次のような説明も見られる。
(引用)永徽三年(652年、玄奘51歳)。慈恩寺の西院の近くに高さ百八十尺の甎塔(せんとう、瓦石を積み上げた塔)を建てた。様式は西域風で、インドから持ち帰った経像を安置し、火災の難と散佚を防ぐためであった。初めは三百尺の石塔にしたい計画であったが、皇帝(高宗)の意向で変更された。工事には玄奘自身、もっこを負って甎石を運び前後四ヶ月で竣工した。現存する七級三百餘尺のものは明の万暦年間(1573~1619)の改築で、大雁塔と呼ばれる。創建当時の様式とは全く別のものである。<前島信次『玄奘三藏―史実西遊記』1952 岩波新書 p.174>
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書籍案内

桑原隲蔵
『考史遊記』
明治40年(1907)初刊
2003 岩波文庫

前嶋信次
『玄奘三藏―史実西遊記』
1952 岩波新書