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安禄山

唐の節度使となったソグド系の武将。755年に安史の乱を起こし、大燕皇帝を称す。しかし、後継者問題からわが子に殺される。反乱は盟友史思明が継承。

 玄宗時代の人、安禄山は父が突厥の武将であったイラン系のソグド人、母は突厥人という、漢民族の出身ではなかった。平廬と范陽の節度使を兼ねていた張守珪に認められ、さらに時の宰相李林甫によって彼自身も平廬の節度使となった。李林甫を通じて玄宗とその妃楊貴妃に取り入り権勢をふるうようになった。楊貴妃に気に入られた安禄山は、その養子となった。751年までに平廬の他に范陽と河東の三節度使を兼ね18万ほどの兵力を持つに至った。
 翌年、安禄山の保護者宰相李林甫が死ぬと、楊貴妃のいとこの楊国忠が宰相となったため、安禄山の権勢も脅かされるようになった。

安史の乱を起こす

 755年、安禄山は「君側の奸」楊国忠を除く、という口実で范陽節度使の駐在地である幽州(現在の北京)で反乱を起こした。同志の史思明や息子の安慶緒らが順い、節度使の直属軍に加えてソグド人や旧突厥人も加わり、大きな勢力となった。これが安史の乱である。
 反乱軍はまず洛陽を落とし、さらに西に進んで都の長安を陥れ、安禄山は大燕皇帝を名乗って新たな王朝を開いた。唐の玄宗皇帝と楊国忠、楊貴妃らは長安から逃れ視線に向かった。
 大燕皇帝となった安禄山であったが、まもなく失明、病にも罹り、自暴自棄になったがその宮廷は乱脈をかさねるうちに、愛妾との子を溺愛したため嫡子の安慶緒が不満を強め、ついに757年にその子によって殺害されてしまった。
 反乱軍は禄山の盟友史思明が代わって指揮したが、彼も子の史朝義と対立、殺された。このように反乱軍は内紛があいついで、763年、ウイグル軍の支援を受けた唐によって鎮圧された。

安禄山の出自

 安禄山の出生地はモンゴリアとも現在の北京の東北の営州とも云われてはっきりしない。父は康という姓を名乗る武人であったが、康はサマルカンド出身者を意味する姓なので、ソグディアナ地方出身のソグド人(大きく分ければイラン系)であったと思われる。母は阿史徳氏という突厥の有力部族出身の女性でシャーマンであったと伝える。始め康禄山を名乗ったが、父が早くに亡くなったため母が安延偃(安はブハラ出身者の姓)という有力なソグド人と結婚したため、養父の姓をとって安禄山となった。ソグド人武人の男と突厥人シャーマンの女が出会って生まれた混血児であるとすれば、突厥第二帝国(東突厥)時代のモンゴリアで生まれたと考えるのが穏当であろう。<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』講談社学術文庫 p.278>
※安禄山の名をア-レク-サン(ダー)、つまりアレクサンドロス大王から名づけたという話があるそうだが、信じられない。

Episode 体重200kの安禄山

 安禄山は大変な肥満体で、体重は約197kgとも209kgともいわれ、腹が膝の下まで垂れ下がっていたという。ふとりすぎて従者に両脇を支えてられてやっと歩けたが、玄宗の前ではソグド人の舞を風の如く軽やかに舞った。また、あるとき玄宗から「お前の腹のなかには何が入っているのか」とからかわれると、「赤心(まごころ)がいっぱいつまっております」と答え、玄宗を喜ばせた。
 また玄宗を喜ばすために楊貴妃にも取り入った。楊貴妃の養子になりたいと申し出て許されたが、楊貴妃よりも15歳も年上だった。入京の際にはまず楊貴妃に礼拝する安禄山を見て、玄宗がその理由を聞くと、「わたしたち蕃人のしきたりでは、母を先にして父を後にするのでございます」と答えて喜ばした。玄宗に黙認されて、安禄山は楊貴妃のところで夜を明かすこともあり、スキャンダルとなったが、平気だった。
 しかし、新たに宰相になった楊国忠は、安禄山の力を恐れ、宮廷からの排除をなかろうとした。安禄山も拠点は宮中にはなく、節度使としての軍事力が頼りであったから、楊国忠との勢力争いに勝つためには遠く幽州で挙兵するしかなかった。こうして安禄山は権力欲からついに挙兵に踏み切ることになった。

Episode 「洗児」のドンチャン騒ぎ

 安禄山を巡る奇怪な話は枚挙に暇がないが、一つだけつけくわえよう。
(引用)楊貴妃もまた安禄山が大のお気に入りであり、彼を大きな玩具のように扱って遊び興じた。「洗児」のドンチャン騒ぎは、その最たる例にほかならない。「洗児」とは元来、子どもが産まれて三日目に、客を招いて祝宴を催し、子どもを湯に入れる行事を指す。天宝十年(751)、楊貴妃はなんと「養子」の安禄山を新生児に見立て、この「洗児」のセレモニーを行った。安禄山は元旦生まれだったので、三日目の一月三日、安禄山に豪華な刺繍のついたお襁褓(むつ)をさせて輿に乗せ、宮女たちに担いで回らせたのである。<井波律子『裏切り者の中国史』1997 講談社選書メチエ p.176>
 超肥満体の安禄山のグロテスクで滑稽な赤ん坊姿に、宮女たちは笑い転げ、見物に来た玄宗は大いに楽しみ、「母」の楊貴妃に祝儀として大量の金銀を贈ったという。
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書籍案内

森安孝夫
『シルクロードと唐帝国』
興亡の世界史 2007初刊
2016 講談社学術文庫

井波律子
『裏切り者の中国史』
1997 講談社選書メチエ