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靖康の変

1127年、金の軍勢が開封を占領、宋(北宋)が滅亡した動乱。

 1127年、金軍が宋(北宋)の都開封(汴京)を占領し、宋の上皇(前皇帝)徽宗・皇帝欽宗などを捕らえ、拉致したこと。靖康(せいこう)は当時の年号。1126年が靖康元年に当たる。(明代の1399年からの靖難の役と取り違えないようにすること。)

北宋から南宋へ

 靖康の変によって宋(北宋)はいったん滅亡した。難を逃れた欽宗の弟の高宗が南方に逃れて南宋を建てることになる。
 その経過は、次の通りである。1125年には大軍を南下させ、の都開封を包囲した。驚いた宋の徽宗は、責任を負って位を子の欽宗に譲った。欽宗は金との講和を図り、多額の金銀の支払いと領土の割譲を約束したので、金軍はいったん北に帰った。しかし宋がその約束を守らなかったので、翌1126年、金は再び開封を攻撃、戦備を怠っていた都城はたちまち陥落し、翌年金軍は上皇の徽宗、皇帝の欽宗の他、皇后・皇族以下三千余人を捕らえ、金銀財宝を略奪して北の上京(会寧府)に引き上げた。これによって宋は建国以来168年でいったん滅亡することとなった。
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