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朱熹/朱子

南宋の儒学者で、宋学を大成した人物。儒学を軸とした中国思想を一つの体系「朱子学」としてまとめ、理気二元論・性即理・格物致知・大義名分論などの思想は後代の中国のみならず、朝鮮・日本の思想にも大きな影響を与えた。

 朱熹(しゅき)が名前で、朱子は尊称。12世紀の南宋の儒学者で宋学(朱子学)を大成した、中国思想史上の最も重要な人物朱熹は福建省に生まれ、科挙に合格したが、その新思想が当時は受け入れられず、ほとんどを地方の下級官僚ですごした。その間思索を深め、北宋の周敦頤に始まる宋学を体系的な宇宙哲学として完成させた。そこで宋学を「朱子学」ともいう。

広範な朱子学

「朱子学」は儒学の一学派にとどまらず、中国思想を総合的に体系化した思想体系であった。その内容は大きく四つに分かれる。
  • 存在論:程頤、張横渠の説を発展させた理気二元論。万物は理と気からなるというもので、それまでの儒教に欠けていた宇宙観、物質観を組み立てた。
  • 倫理学:人間の生き方を論じる。「性即理」の説。人間の本性と宇宙の根源を一致させた生き方によって聖人たることを目指した。
  • 方法論:聖人になる方法を説くことで、窮理(理を窮める)の説という。朱子は『大学』からとった格物致知をその方法論とした。
  • 古典注釈学:『四書集注』で、『大学』『中庸』『論語』『孟子』を四書として儒教の新しい基本文献とした。また、『資治通鑑綱目』で大義名分論を強調した。
 他にも科挙の改正や、社会政策論などでも多面的に議論を展開している。 → 宋代の文化

参考 白鹿洞書院と朱子

 長江の中流、江西省にある廬山は山容が美しく古来文人墨客に愛されている。唐の貞元年間に李渤という学者が廬山五老峰の麓に隠居し、一頭の白鹿を可愛がりながら読書生活を送ったので白鹿洞と言われた。後にそこに学校が作られ、唐末の混乱で一時荒廃したが宋の初めに再建され、白鹿洞書院と名付けられた。その後も盛衰があったが、1178年、朱子はこの白鹿洞書院を復旧し、自ら講義し、また各地から学者をまねいて教育にあたった。
 書院とは唐の玄宗の時代に、宮廷に学者を招いて図書の集蔵、筆写、校正にあたったところから始まり、宋代には各地に地方官や個人によって科挙受験生のための学校として作られるようになった。朝廷から認められ(勅額)て費用(学田)を与えられたものもあるが、多くは個人の寄付によって設立され、洞主などと呼ばれる院長が学則を作って運営した。宋代には最盛期には全国に100近くあったと言うが、その中で最も知られたのが朱子の白鹿洞書院で、彼がそこで掲げた「白鹿洞書院学規」はその学説を最も簡明に示したものとされている。

資料 白鹿洞書院掲示

父子に親あり。君臣に義あり。夫婦に別あり。長幼に序あり。朋友に信あり。

右が「五教」の項目である。堯・舜が契を司徒に任命し敬して「五教」を敷衍させた、というのはこれをさす。学生の学びはこれをおいて他はない。その学びの順序にも五つあり、それを類別すれば下記の通りである。

博(ひろ)く学び、審(つまび)らかに問い、慎んで思い、明らかに弁じ、篤く行う。

上が学問を修める順序である。学・問・思・弁の四つは、理を窮める方法である。篤行については、身を修めることに始まり、事柄に対処し、人と応対するに至るまで、はやりおのおの要がある。

言は忠信であること。行いは篤敬であること。忿(いか)りを懲(こ)らし、慾を窒(ふさ)ぐこと、善に還(かえ)って過ちを改めること。

上が身を修める要である。

その義を正してその利を謀(はか)らないこと。その道を明らかにしてその功を計らないこと。

上が事柄に対処する要である。

自分がそうして欲しくないことは、人にしてはならない。実行してうまくゆかぬときは、わが身に振り返って反省すること。

上が人と対応する要である。

<野口徹郎編『資料中国史―前近代篇―』白帝社 p.145 引用の『朱文公文集』巻74 による>

朝鮮・日本への影響

 朱子の思想は、宇宙論から人間論まで幅広いもので、しかもどのように真理を認識するかという方法論まで含んでいたが、宋において官学とされ、科挙を受験する士大夫はその中から特に国家の統治にあたる官吏としての道徳論の部分である“修身・斉家・治國・平天下”という理念が強調されるようになった。
 特に朱子学は、朝鮮及び日本に伝えられていくうちに、幅広い思想体系と言うより、如何に国家を統治するか、という統治哲学ともいうべき側面のみが発達していく傾向があった。まず、朱子学は朝鮮王朝(李朝)に伝えられ、朝鮮の儒教に強い影響を及ぼし、独自の発展を遂げ、16世紀の李退渓李栗谷などの学者が現れた。このうちの李退渓は理気二元論に対して、「理」を重視する一元論展開し、藤原惺窩や林羅山の日本の儒学にも影響を与え、朝鮮においては両班の政治理念・生活規範として定着し、日本においては江戸幕府の封建的身分制社会のイデオロギーとなっていった。
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島田虔次
『朱子学と陽明学』
岩波新書