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ハン/汗・ハーン/大ハーン

ハン(可汗)は遊牧民国家の君主の称号で、チンギス=ハンももちいたが、モンゴル帝国第二代オゴタイ(オゴデイ)からはチンギス=ハンの直系子孫の皇帝のみが「ハーン」と称し、それ以外の王族は「ハン」と区別されるようになった。ハーンを「大ハーン」とする場合もある。

 ハン、ハーン、カン、カーン、カアンまたはハガン、カガンとも表記され、漢字では汗の字をあてられることもあり、古くから北方遊牧民社会では、君主を意味する言葉として用いられており、鮮卑に始まり、柔然で「可汗」が使われ、突厥ウイグルでも継承された。モンゴルでもチンギス=ハンは「ハン」の称号をもちいた。従来はモンゴル時代のハンも同様なモンゴル帝国の皇帝の称号と理解されてきた。
 しかし、モンゴル時代についての研究が進んだ結果、モンゴル帝国のあり方にも見直しがなされ、西欧的な「帝国」の概念ではなくウルスという概念が提唱されるようになった。また、かつては「ハン」と「ハーン」は同じ言葉とされ混用されていたが、最近は明確に区別することが正しいという説明がなされるようになっている。まだ教科書レベルでは定着していないようだが、一部に変化も見られるようになっているので、以下、モンゴルに関する新しい提唱をしている杉山正明氏の所説を紹介する。

ハンの表記について

 原音のカタカナ表記を正確にするのは難しい。日本のカタカナでは十分に表記しきれない場合がが多い。ことに「ハン」についてはさまざまな表記がされている。モンゴル時代は「カン」に近い発音であったらしく、また唯一人のモンゴル皇帝は「カアン」(カガン、カハンはこの系統)、その他の君主・王侯は「カン」と二段階の識別が厳重だった。したがって一般に「ハーン」に統一するのは歴史事実として誤っている。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』1996 下 あとがき p.249>

「カン」と「カアン」の違いについて

 杉山正明氏の説明によると、オゴデイ(一般にオゴタイ)の時から「カアン」を称するようになり、それはチンギス=カンの「カン」とは別な表記であるという。モンゴル帝国の歴史書『集史』では、カアンは Qā'ān 、カンは Khān と区別されている(アラビア文字をラテン文字で表記)。元代の発音の判るパスパ文字表記の碑文でも両者は区別されている。オゴデイはモンゴル皇帝たる自分だけの称号として「カアン」と称したのであり、それは突厥などで使われた「カガン」号にちなみ、途中の「ガ」が軟音化して「ア」になった語形であった。チンギス=カンはあくまでただの「カン」であり、この頃の遊牧君長たちは権力の大小をかかわらず、みな「カン」と称した。それに対してオゴデイは、ただの「カン」ではなく「皇帝権」を明確にするため「カアン」という新称号をひねり出した。次のグユクは用いなかったが、第4代モンケ以降はみな「カアン」を称している。大元ウルスの皇帝は「カアン」であるが、他のウルス(ハン国)はすべて「カン」であり、そこに明確な違いがあった。<『大モンゴルの時代』1997 世界の歴史9 中央公論新社 p108>

参考 「ハーン」「ハン」の表記は間違いとする説明

 同じく杉山正明氏は、わが国では「カアン」と「カン」の違いを気にせず、しばしば、すべて「ハーン」としているが、それは、すこし愚かしいこと、と言っている。「ハーン」はモンゴル語としては「カアン」と綴り、明代以後、本来はモンゴル皇帝の専称であるカアンが、本来「カン」と称されるべき王侯についても区別せずに使用されてしまった。誰も彼も、のきなみ「ハーン」としたために、「四ハーン国への分裂」なとという歴史事実と反する虚説も出現した。モンゴル時代までは、あきらかに「クビライ」「カアン」「カン」に近い音であって、「フビライ」「ハーン」「ハン」ではない。
(引用)従来の片仮名表記は、欧米人史家の、それも西洋史家の中途半端な表記を鵜呑みにした上で、日本風にアレンジした誤解の産物である。歴史の教科書をふくめて、そろそろ、あらためるべき時期が来ている。<『大モンゴルの時代』1997 世界の歴史9 中央公論新社 p111>
 しかし、現在も世界史教科書では「チンギス=カン」ではなく「チンギス=ハン」、「クビライ」ではなく「フビライ」と表記され、「ハーン」と「ハン」も区別されていない。2017年からの帝国書院『新詳世界史B』はチンギス=カン、クビライを採用しているが、確かめられる範囲ではこれだけで他社は山川も含めて以前のとおりである。しかし、杉山氏の言う、「ハーン」表記は誤りだから「カアン」とすべきである、というのはまだ取り入れられていない。

参考 ハーン、大ハーン

 帝国書院『新詳世界史B』2017年版は、本文でチンギス=ハン(カン)、クビライ(フビライ)として表記し、「ハーン」の注記に
(引用)カガン(可汗)の音が変化した称号で、オゴデイ以降使われるようになった。モンゴル皇帝だけが名のり、それ以外の王族はハン(カン)と称して区別された。のちには皇帝以外の王族も用いるようになったが、名のることができるのはチンギス=ハンの子孫に限られた。<帝国書院『新詳世界史B』2017年版 p.114>
 これは前述の杉山説にある程度従ったのであろう。また山川出版社の詳説世界史は従来のままであるが、『世界史B用語集』の最新版(2014刊)では、「ハン」の項は、「khan 鮮卑以来もちいられるようになった遊牧国家の君主の称号。モンゴル帝国では、皇帝のみがハーン(カアン)、一般の君主がハン(カン)と明確に使いわけられていたとされる」とされ、それとは別に「大ハーン」という項が新たに立てられ、「モンゴル帝国での皇帝のみの称号。一般の君主の称号ハンと明確に使いわけられていた」となっている。 → 3ハン国の分立
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杉山正明
『大モンゴルの時代』
世界の歴史 9
1997 中央公論新社