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アブド=アッラフマーン3世

イベリアの後ウマイヤ朝でカリフを称し3カリフ時代となる。10世紀前半にコルドバを中心に最盛期を現出させた。

 イベリア半島の後ウマイヤ朝で、929年カリフを称した。これはエジプトのファーティマ朝に対抗するためであった。これによって、従来からアッバース朝のバグダードのカリフに加えて、後ウマイヤ朝の都コルドバ、ファーティマ朝のカイロの三ヶ所にカリフが同時に存在する3カリフ時代となった。

後ウマイヤ朝全盛期のカリフ

 アブド=アッラフマーン3世の時代は、後ウマイヤ朝の全盛期で、北方のキリスト教国であるレオン王国、カスティリャ王国に貢納の義務を課し、またバグダードのアッバース朝とは盛んな交流があった。また首都コルドバも人口が50万を超え、繁栄していた。コルドバの郊外にはアブド=アッラフマーン3世が造営した王宮の遺跡マディーナ・アッザフラーがある。

ユダヤ人の高官

 後ウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン3世の時代は、西地中海の覇権を握り、ビザンツ帝国のコンスタンティノープルやエジプトのカイロと盛んに交易を行った。この地中海交易で活躍していたのはユダヤ人であった。ユダヤ商人は地中海東部との香辛料や絹織物、そして奴隷などの貿易に従事していた。ユダヤ人のなかには商業だけでなく、官僚や学者としてカリフの宮廷に仕えていた。この時代はユダヤ人に対する排除の動きはまだ弱い方であった。
 アブド=アッラフマーン3世の王宮で活躍したユダヤ人の代表的人物は、ハスダイ=イブン=シャプルートという人物で、ヘブライ語とアラビア語、ラテン語に精通し、医者としてアブド=アッラフマーン3世に仕えた。彼はコルドバのユダヤ人共同体の代表に任命され、また宮廷内にも官職をもち、後ウマイヤ朝の外交活動や徴税業務を指揮した。外交官としては隣接するキリスト教国レオン王国だけでなく、ビザンツ帝国や神聖ローマ帝国オットー1世の宮廷との交渉にも当たった。特にユダヤ商人の活動によって知らされた、黒海北岸からカスピ海北岸にかけての草原地帯にあってユダヤ教を国教としていたハザール=カガン国の王と書簡を取り交わしていることが注目できる。
 このようにアブド=アッラフマーン3世の王宮にはユダヤ人で高官を務める者ものおり、その他コルドバにはユダヤ人が多数住んでおり(コルドバ旧市内にはユダヤ人街の一角が残っている)、イスラーム教徒と共存していたに留意しておこう。<関哲行『スペインのユダヤ人』世界リリブレット59 2003 山川出版社 p.17-18>
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書籍案内

関哲行
『スペインのユダヤ人』
世界史リブレット59
2003 山川出版社