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アラビア語

セム語族のアラブ人の言語であり、イスラーム世界の公用語とされた。

 アラビア語は本来はアラブ人の言語で、南セム語系に属する。イスラーム教が興ると、『コーラン』がアラビア語で書かれており、それは神(アッラー)の言葉とされて他の言語に翻訳することは禁止されていたので、アラブ人以外のイスラーム教徒(ムスリム)もコーランを通じてアラビア語を使うようになり、イスラーム世界の共通語として広まった。
 現在は北アフリカのモロッコから西アジアのイラクまでがアラビア語圏となっている。イスラーム世界でもトルコ語とペルシア語、インドネシア語は別に用いられている。アラビア語を表記する文字が6世紀ごろから使用され始めたアラビア文字で、これもイスラーム世界(トルコとインドネシアを除く)で広く用いられている。アラビア文字は右から左に横書きするのが特徴で、現在はいくつかの書体に分かれており、絵画が発達しなかったアラビア文明では、アラビア文字の「書道」がたいへん良く発達した。イスラームの信仰と結びついたアラビア語が、人種や民族を超えてイスラーム世界の共通語となったことにその普遍的文明としての特徴が現れている。

アラビア語の公用語化

 ウマイヤ朝は首都ダマスクスを中心にアラブ世界とその周囲を支配し、次第に政治形態を整備していった。征服地を支配する上で、はじめは各地の固有の言語を認めていたが、租税の徴収や行政を円滑に行うため、言語を統一する必要が強まった。「諸王の王」といわれたカリフのアブド=アルマリクは、695年にアラビア語を公用語として定めた。
 イラク地方ではペルシア語が使われていたが、697年からアラビア語に変更された。イラン人の官僚はペルシア語でないと計算ができないといって抵抗したが、強制されたという。さらに700年にはシリアではギリシア語から、705年にはエジプトでコプト語から、イランでは742年にペルシア語から、それぞれ行政用語がアラビア語に変更された。ウマイヤ朝でのアラビア語公用語化によって、アラブ至上主義の傾向が強まった。<佐藤次高『世界の歴史8・イスラーム世界の興隆』1997 中央公論社 p.109 などによる> → 「アラブ帝国」

アラビア語起源のことば

 現在も英語その他に残っているアラビア語起源の言葉には次のようなものがある。
アルコール、アルカリ、アルケミー、アルジェブラなどのほか、シャーベット、シロップ、パジャマ、シュガー、コットン、レモン、シャボンなど

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