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ランカスター家/ランカスター朝

1399年~61年までイギリスの王家を継承。ヨーク家と対立しバラ戦争となる。

 百年戦争が続く中、イギリス(2)のプランタジネット朝エドワード3世の次男ジョンがランカスター公を名乗り、ランカスター家が始まった。家紋は紅バラだった。プランタジネット朝のリチャード2世が議会によって廃位された結果、1399年、ジョンの子が即位しヘンリ4世となり、ランカスター朝が始まった。次のヘンリ5世は1415年のアジャンクールの戦いでフランス軍を破り、その子ヘンリ6世は幼少であったがフランス王も兼ねた。1453年、百年戦争が終結した後、ランカスター家の王位の正当性を否定するヨーク家との間で1455年からバラ戦争となり、1461年にランカスター家は敗れ、ヨーク朝となる。

議会の支持でランカスター朝成立

 時のプランタジネット朝の若き国王リチャード2世(エドワード黒太子の子。在位1377~99年)は、農民反乱ワット=タイラーの乱をなんとか乗り切ったが、対仏戦の形勢が不利になる中、議会を無視して一部の寵臣だけを身辺に置くようになった。議会は大貴族や聖職者の構成する上院と州代表の騎士と都市代表で構成する下院の二院が成立していたが、両院とも国王の勝手な振る舞いには反発を強めた。国王と貴族の争いは内戦にまで発展し、リチャードは対立したランカスター家のヘンリを国外追放にした。しかし、1399年、ヘンリはイングランドに兵を率いて上陸、貴族も同調してリチャードに反旗を翻し、ついにリチャードを捕らえてロンドン塔に幽閉し、議会はその廃位を決定するとともにランカスター朝のヘンリ4世(在位~1413年)の即位を承認した。

フランス王位を兼ねる

 ランカスター朝はその後、ヘンリ4世の子ヘンリ5世(在位1413~22年)が継承、彼は1415年にフランスが分裂しているのに乗じて上陸し、アジャンクールの戦い(アザンクール)で勝利を収め、百年戦争の後半を有利な戦いで進めたが、1422年に遠征中のパリ近郊で病死してしまった。次にはヘンリ5世とフランス王シャルル6世の娘との間の子が乳幼児であったがヘンリ6世をイギリス・フランス二国の国王として即位させた(在位~61年)。フランスではオルレアン派がシャルル7世を王位につけたため、フランス王位は分裂した。イギリス軍は1428年にはオルレアンを包囲したが、ジャンヌ=ダルクが現れて1429年オルレアンは解放された。その後、フランスのイギリス領は次々と奪われ、1453年に百年戦争が終結する。

バラ戦争

 ランカスター朝は、王位を簒奪したという形なので、その正当性を疑問視する声は当初から多く、同じくエドワード3世の子から出たヨーク家は同等の王位継承権を主張していた。その両者の対立から、1455年バラ戦争が起きる。ヘンリ6世は精神に異常があり、その妻マーガレットがランカスター一門をまとめてヨーク家と戦った。紆余曲折の後、1461年にランカスター家は敗れ、ヨーク家のエドワード4世が即位しヨーク朝が成立、ヘンリ6世と王妃マーガレットはスコットランドに逃れてランカスター朝は終わりを告げた。その後、マーガレットはフランスに渡り、ルイ11世の支援でイギリスに戻ってヘンリ6世を一時復位させたが、ヨーク朝エドワード4世と戦って再び敗れ、ヘンリ6世はロンドン塔に幽閉された後、71年に殺害された。その後、ランカスター家の傍流にあたるテューダー家のヘンリがヨーク朝を倒し、テューダー朝を創始する。
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