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王陽明

明代の儒学者で陽明学を提唱した。心即理・知行合一などの提唱は、旧来の朱子学の枠を越えて人間の自由な思想へとつながった。

 王陽明(王守仁とも言う)は明代の学者、思想家で儒学の中の陽明学を提唱した人物。陽明は号であり、本名は守仁。浙江省の出身で父も科挙に合格した知識人。はじめ明の官学であった朱子学を学び、28歳で進士に合格、官界に入ったが宦官と対立して貴州の龍場という辺境の地の駅長に左遷された。そこで生活しながら思索し、1508年、朱子学の考えを批判する新しい儒学思想として陽明学を生み出した。その後官界に復帰し、武人としても各地の農民反乱や地方豪族の反乱の鎮圧に活躍、兵部尚書(陸軍大臣)を務めた。この経歴からもわかるように、王陽明は単なる思索の人ではなく行動の人であった。その主著は『伝習録』。彼の思想では「心即理」や「知行合一」がキーワードである。 → 李卓吾明の文化

Episode 王陽明の少年時代

 少年時代の王陽明はすこぶる勉強ぎらいで、塾をエスケープしては士大夫の子弟にあるまじき戦争ごっこに精を出していたという。また、13歳の時に生母に死別し、継母からいじめられると、街でふくろうを一匹買ってきて継母の蒲団の中に入れておき、おどろいた継母が占い師に占ってもらうと子供をいじめた罰だというので、継母はいじめを止めたという。もちろん、占い師は陽明が買収していたのだ。他の儒学者には考えられないような逸話である。このようなエピソードが伝えられているところに彼が当時いかに破格な人物と受け取られていたかがわかる。<島田虔次『朱子学と陽明学』岩波新書1967 p.122> 
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