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バンコク

タイのラタナコーシン朝の都として1782年に建設された都市。チャオプラヤ川河口の港市から発達し、現在のタイの首都で、アジア有数の大都市となっている。

バンコク GoogleMap

タイラタナコーシン朝の都として建設(1782年)され、現在もタイ国の首都として栄えている、東南アジア有数の大都市。チャオプラヤ川下流の左岸に位置し、河口から30キロのところにある。ビルマの支配からタイを独立させ、トンブリー朝を開いたタークシン王が拠点としていたトンブリーの対岸の地に、ラタナコーシン朝初代のラーマ1世(チャクリ)が、ビルマの再来襲に備えて移転し、新都とした。

ラタナコーシン朝の新都として建設

 正式名はクルンテープ・マハーナコーン・・と長大だが、一般に「バンコク」といわれている。中心部に王宮と行政官庁が集中している。中心部のワット・プラケオ(エメラルド寺院)ほか、多数の仏教寺院、王室関係の施設が建てられている。バンコク市内には建設以来、運河が重要な交通手段として発達したが、1960年代の「開発の時代」からは高速道路網が作られ、市域も拡大し、周辺の農村から人々が流入、現在は5000万を超える大都市となっていて、交通渋滞が名物になっている。

NEWS バンコクの大洪水

 バンコクはチャオプラヤ川の下流にあるので、たびたび水害を蒙ってきたが、2011年には7月から約3ヶ月にわたって大洪水に見舞われ、多数の死者(タイ全体で815人の死者、3名の行方不明者=タイ政府のWeb情報)と避難民を出す大災害となった。タイに進出している日本企業も大打撃を蒙った。2011年のバンコク洪水では、官庁やホテルが集中する市の中心部を守るため、全長約15㎞にわたって土嚢を積み上げたが、そのため土嚢の外側の住民は約一ヶ月にわたって水が引かず、腰まで水につかるという生活を強いられた。一部の住民が中心部を守るための堤防を破壊する騒ぎとなった。(AFPbb News 2011/11/14
 バンコクでは2022年10~11月にもチャオプラヤ川の氾濫による洪水被害が出ており、将来的な対策が必要とされている。

Episode バンコクの意味

 この地は都となる前はアユタヤ朝の首都アユタヤに上る船をチェックする要塞のあったところ。バンは水路、コークはオリーブの木の一種の名だった。ラーマ1世がこの地を都としたとき、「クルンテープ・マハーナコーン・ボーウォーン・ラタナコーシン・マヒンタアーユタヤー・マハーディロクポップ・・・下略」という長い頌詞を奉った。それは「インドラ神の造り給うた崇高なる宝玉の(奉られている)神の都、大いなる都・・・」という意味で、その冒頭の「クルンテープ・マハーナコーン」(神の都・大いなる都)が正式な都の名とされた。現在でも行政上の都市名はこうであるが、人々は昔からの「バンコク」をそのまま使っている。また頌詞のなかの「ラタナコーシン」は「インドラ神の宝玉」という意味で、王は神の化身であるというバラモン教・ヒンドゥー教の「神王」思想の影響を受けている。<『タイの事典』同朋舎 p.199>

ワット・プラ・ケオ

ワット・プラ・ケオ

ワット・プラ・ケオ

 バンコクの中心部に、エメラルド寺院として知られるワット・プラ・ケオ Wat Phra Kaeo は、1782年、ラタナコーシン朝(チャクリー朝)を建てたラーマ1世が建造した寺院で、王朝の護国寺の役割をもっている。タイで最も美しく、きらびやかな寺院であり、黄金の仏塔には仏舎利が納められている。中でもエメラルドブッダといわれているブッダ像は人気が高く、季節に合わせ年3回衣替えしている。タイの人びとは、お正月など定期的にお詣りしてお祈りすれば、お金が流れてくると信じている人が多いといいます。 → amazing THAILAND Wat Phra Kaeo
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書籍案内

マイケル・スミシーズ
西村幸夫監修/渡辺誠介訳
『バンコクの歩み』
Imges of Asia シリーズ
1993 学芸出版社

石井米雄・吉川利治編
『タイの事典』
1993 同朋舎