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絶対王政/絶対主義

主権国家形成期に国家の権力が君主(国王)に集中し、君主が絶対的な権力を行使した国家の政治体制のこと。国王の権力を支えたさまざまな中間団体(社団)が存在した。

 16~18世紀に形成された主権国家における君主が絶対的な支配権力をもつ政治体制を「絶対王政 absolutism 」(または絶対主義体制)という。絶対王政の出現は、封建社会から近代社会への過渡期の西ヨーロッパに見られるもので、18世紀の市民革命によって倒される体制と考えてよい。国王の絶対的権力の基盤となったものは、封建領主層(貴族、上位聖職者)は国王に依存して免税特権などを認めてもらい、国王権力を支える官僚や軍人となった人びとであり、一方では有産市民層(ブルジョワジー)もまだ国王権力に依存して独占権などを保証してもらった人びとであった。これらの上位身分に支えられ、国王が官僚組織と常備軍制度をもって「国民」を一元的に直接統治する主権国家の形成期の政治形態が絶対王政であった。
 15世紀から16世紀にかけての早い時期のポルトガル、スペイン、16~17世紀のテューダー朝のイギリス、ヴァロア朝シャルル8世・フランソワ1世のフランスなどが絶対王政の初期の例である。ドイツでは統一国家の形成は遅れたが、プロイセンやオーストリアなどの領邦で絶対王政が形成されていった。
 絶対王政のもとでは、官僚制常備軍の形成が進み、それらを維持する財源を得るため、重商主義の経済政策がとられていた。また絶対王政を理論づける思想が王権神授説であり、典型的にはイギリス・フランスで展開された。

古典的絶対主義観

 従来の通説的な絶対王政のイメージは次のようなものであった。「フランスの「絶対王政」、とりわけその最盛期とされるルイ14世の時代においては、国王が絶対的な権力を手中に収め、自らの意のままとなる厖大な官僚群と、ヨーロッパ一と謳われた強大な常備軍とによって、王国のすみずみまで強力な支配を及ぼしていたと見做されていた。」すでに19世紀のトクヴィルら自由主義的な立場の論者はこのように捉え、この絶対王政こそ、フランス革命が打倒した体制であると捉えていた。また、マルクス主義の立場に立つ「カウツキーは『フランス革命時代における階級対立』において、おそらくはプロイセン絶対主義のイメージをブルボン王政に重ね合わせつつ、官僚制と常備軍を梃子とする強大な中央集権的権力として絶対主義を描き出している」<二宮宏之「フランス絶対王政の統治構造」1979『全体を見る眼と歴史家たち』1986 木鐸社刊 p.144(現在は平凡社ライブラリーで刊行)>
階級バランス論 階級バランス(均衡)論は、カウツキー(1854~1938 ドイツのマルクス主義者で社会民主党で活躍した)が提唱したもので、なぜこの時期に絶対王政が出現したか、という問いへの回答として納得のいく説明と捉えられ、現在も一定の収まりの良い説明として行われることもある。身近なところでは山川出版社の世界史B用語集(2013)では、「国王は、没落しつつある封建貴族階層と、力をつけつつあった市民階層のバランスに乗り、官僚制と常備軍を整えて強力に国家統一を進めた。この絶対王政は、中世の身分・社会秩序(中間団体)を維持したまま集権化を進めたことなどから、封建国家の最終段階であり、他方で、国王に主権を集中して一定の領域を一元的に支配する主権国家を形成したことから、近代国家の初期の段階とみなすことができる」としている。

中間団体(社団)の存在

 上記の絶対王政の説明は、現在ではやや趣を変えてきている。官僚制と常備軍はこの段階ではまだ明確な形態にはなっていないことが指摘され、それにかわって国王の権力をささえた体制を、さまざまな中間的な団体(中間団体、または社団という)に求める考えが有力になっている。社団(中間団体)とは、国家から一定の独立性を認められた団体で、ギルドのような同業者組合、都市や村落の地域的共同体などである。これらは中世社会を通じて国王から特権を認められ、自律が認められており、国王はこれらの中間団体を通してのみ、国家を統治できた。このような点を注目して、ヨーロッパの中世から近代への移行期(近世という時代区分が用いられることもある)にあらわれた国家を「社団国家」と捉える説が出されている。<二宮『上掲書』>
 高校教科書段階では社団国家という用語はまだ定着しておらず、絶対王政または絶対主義という用語が依然として用いられている。階級バランス論は絶対王政の説明には都合が良いので生き残っているが、用語集に言う「国王に主権を集中して一定の領域を一元的に支配する主権国家を形成した」というのはどうやら少なくともフランスにおいては実態ではなさそうだ。

絶対王政の崩壊

 一般に、絶対王政を倒した革命が市民革命であるとされ、その典型がフランス革命である。またアメリカ独立革命も、植民地の独立にとどまらず、王制国家ではない、最初の共和政国家と市民の自由と平等(不十分なものではあったが)を実現したという点で、市民革命とされている。それらに先行するイギリス革命は絶対王政を倒し議会政治を確立させたものの、社会的平等の実現などでは不徹底であったので、完全な市民革命とは見なされていない。
 ヨーロッパではフランス革命ナポレオン戦争によって、周辺諸国に大きな変動が生じた。フランスのブルボン朝絶対王政が倒されただけでなく、神聖ローマ帝国は消滅し、スペインのブルボン朝、オランダのオラニエ家による実質的な君主制などがいずれも倒された。しかし、ナポレオン没落後にそれらの絶対王政の多くは復活し、ウィーン体制という保守反動の国際秩序が出来上がった。これらの生き返った絶対王政が最終的に倒され、ヨーロッパ諸国が国民国家へと転換していくのは、1848年革命を頂点とした19世紀の変革を経なければならなかった。
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書籍案内

二宮宏之
『全体を見る眼と歴史家たち』
1986 木鐸社刊
1995 平凡社ライブラリー版